カテゴリ別 「音楽」

2024年

3月

06日

ザ・タイガース「シー・シー・シー」

壁の飾りをかえました。ここしばらくGSがつづきます。

ザ・タイガース「シー・シー・シー」昭和43年(1968)7月作詞:安井かずみ・作曲:加瀬邦彦

 タイガース6枚目のシングルです、50万枚も売れたそうです。タイガースはデビューから橋本淳・すぎやまこういちコンビの作品で、王子様キャラクター、ロマンチック世界観、哀愁メロディー、ストリングスで盛り付けた曲が多いです(1)。また当時のファン層もそれを期待していたのでしょう。渡辺プロダクションが需要に応じて売り出すという、商業戦略の一環でもあるのです。

 一方、ロックバンドのビート系作品としては2枚目「シーサイドバウンド」と6枚目本作「シーシーシー」ですね。本作は作詞作曲がかわり、安井・加瀬(2)コンビで新しい風を取り入れようということなのでしょう。

 1964-66年頃流行したマージビート、ブリティッシュビートを思わせるノリの良い曲です。ジュリーとメンバーのコール&レスポンス(歌の掛け合い)が英国風。サリー(岸部おさみ(岸部一徳))のベースもビートがあふれています。ついでに言うとサリーは声も低音が魅力。そしてギター(加橋かつみ)が初期ローリングストーンズの音色みたいなんですよ。ライブバンドであったタイガースの一面が伺える作品です。

 なおこのあと昭和44年(69年)グループから加橋が脱退し、また時代の流れから、作風がニューロックの方向へ進むことになります。

 皆様、ロマンチックだけではないGS、日本のロックの基であったGS、機会がありましたらぜひお聴きください。 (2024.3.6 院長)

 

(1)1st「僕のマリー」(1967年2月)歌謡系 作詞:橋本、作曲:すぎやまB面「こっちを向いて」50'sサウンド

2nd「シーサイド・バウンド」(67年5月) ビート系 橋本&すぎやま B面「星のプリンス」60'sアメリカン、スペクターサウンド的

3rd「モナリザの微笑」(67年8月)歌謡系 橋本&すぎやま B面「真っ赤なジャケット」マージービート系

4th「君だけに愛を」(68年1月)ビート+歌謡 橋本&すぎやま B面「落葉の物語 」ロマンチック系

5th「花の首飾り/銀河のロマンス」(68年3月) 歌謡系 橋本&すぎやま 両A面

6th「シー・シー・シー」(68年7月)ビート系 作詞:安井、作曲:加瀬 B面「白夜の騎士」メルヘン王子様系 

 

(2)ワイルドワンズの加瀬邦彦さん、深夜まで飲んで早朝4時に帰宅すると、事務所から電話が鳴り「今から9時までに曲を作ってくれ」と頼まれたそうです。無茶ぶりですが、5時間で作りあげた曲なのに名曲だと思います。加瀬さんスゴイ! なお安井&加瀬コンビは70年代ジュリーのソロ活動で名作を多く残します。

 

カテゴリ 音楽

←前の記事「花組 アルカンシエル」次の記事「ジャパニーズ・ガレージロック シャープホークス」→最新ブログ記事→

2024年

2月

07日

ゴールデンカップス「本牧ブルース」

壁の飾りをかえました。ひきつづき60年代GSの話です。

ザ・ゴールデン・カップス「本牧ブルース」昭和44年2月 作詞:なかにし礼、作曲:村井邦彦、6枚目のシングルです。

ゴールデンカップス(以下カップス)は横浜で結成されたバンド(1)。アイドルGSとは異なり、リズム&ブルース寄りの洋楽を志向していました。それもかなりマニアックであったようです。

GSとしてメジャーデビューしたために、シングルレコードではブルースとロックは控えさせられ、職業作詞作曲家が書いた歌謡曲的作品を出していました。有名な「長い髪の少女」は典型です。ただし、LPレコードは洋楽カバーがメインです、「洋楽の東芝」だから本人たちの希望する音楽を許してもらえたのでしょうか?ライブ演奏はほぼ洋楽中心でやっていたことが後年に再発された音源や動画などから明らかになっています。

そんな流れで本作も歌謡曲寄り作品と言えます。しかし、ブルース&ロックが滲み出てくるのがカップスらしいところです(2)。ソウルフルなデイヴ平尾の歌唱、ギターもファズがかかってハード。そしてカップスと言えばルイズルイス加部のベース!ものすごい迫力でウネっています(3)。キーボードは後に「ゴダイゴ」でも活躍するミッキー吉野さんです。

ロックと歌謡曲の間で苦悩する姿こそGSの醍醐味と言えましょう。

皆様、機会がございましたら、ぜひゴールデンカップスを御鑑賞ください。(2024.2.7院長)

 

(1)横浜市 本牧のレストランバー「ゴールデン・カップ」で演奏したのがはじまりです。

(2)「銀色のグラス」もぜひ聴いてください。

(3)加部さんのベースはあまりにメロディアスなため「リードベース」と言われることがあります。

 

カテゴリ 音楽

←前の記事「スパイダース 太陽の翼」次の記事「花組 アルカンシエル」→最新ブログ記事→

2024年

1月

24日

スパイダース「太陽の翼」

壁の飾りをかえました(1)

昨年後半は80年代ばかりでした。今年は院長の好きな60年代GSから始めます。

ザ・スパイダース「太陽の翼」昭和42年3月 作詞・作曲:利根常昭

9枚目シングル。この作品、日本航空世界一周路線開設を記念した曲なんですよ。当時の日航はイケイケだったんですね。そういうわけで「太陽」の「翼」なんですよ。

スパイダースは昭和40年「フリフリ」でレコードデビュー、「ノー・ノー・ボーイ」「ヘイ・ボーイ」「サマー・ガール」と立て続けに英国ロックサウンド(2)志向の曲を出しました。ただロックを前面に押すと当時はなかなか受け入れてもらえなかったのです。なので歌謡曲風も入れないといけないということになるのです。ロックを演りたいがそれだけではお客がついてこない、売上にはつながらぬ、当時のGSは皆この悩みを抱えていたはずなのです。

スパイダースは浜口庫之助を起用し歌謡曲調の「夕陽が泣いている」昭和41年9月で大ヒット。カントリー調の「なんとなくなんとなく」をはさみ、歌謡曲調かつ日航タイアップでヒットを狙っての本作「太陽の翼」リリースなんでしょうね。

メロディーラインは歌謡曲テイスト、歌詞世界は青春もの(3)であるものの、演奏は完全にロックです。まずギターにはファズ(4)がかけられていてハードなサウンド、リードギター井上堯之さんかっこいいぜ。田辺昭知さんのドラム、フィル・インがめちゃピシッと締まってるんですよ、ここはよく聴いてください。そしてハモンドオルガン大野克夫さんのノリもすばらしい。そしてロックを志向したかまやつさんのプロデュース力。スパイダースの演奏ってGS内で突出して技術高くかつロックなんですよ。彼らの音楽的素養をもってこそ歌謡曲風メロディーをロックにつくりあげることができるのです。

ロックと歌謡曲の間で苦悩しバランスをとる姿こそGSの醍醐味と言えましょう。

皆様、機会がございましたら、ぜひスパイダース・サウンドを御鑑賞ください。(2024.1.24院長)

 

(1)ジャケット写真、カッコイイですね。GSと言えばミリタリールック(軍服風衣装)!ビートルズのサージェントペッパー衣装からの連想なんでしょうか?なぜか日本のGSも軍服が採用されるという変テコ安直な流れです。

(2)マージービート、リバプールサウンド、ブリティッシュロック等いろんな分類があります。

(3)当時はなんだかんだ言ってヨナ抜き歌謡曲調と青春モノが一般大衆にうける要素でした。

(4)音を歪ませるエフェクターのこと。ファズは60年代に流行りました。ゴールデンカップス「銀色のグラス」、ローリングストーンズ「サティスファクション」のイントロの音がファズです。類似のものにディストーションとかオーバードライブがあります。

 

カテゴリ 音楽

←前の記事「星組RRR/VIOLETOPIA」|次の記事「」→ |最新ブログ記事→

2023年

12月

20日

80年代のクリスマス・イブ

 壁の飾りをかえました。山下達郎「クリスマス・イブ」昭和58年(1983)

 早いもので今年もあとわずかになりました。ふり返りますと今年は7月からずっと80年代音楽の話を続けておりましたので、80年代を代表するクリスマス・ソングで本年のブログをしめたいと思います。

 もう誰もが知る名曲です。初めてリリースされたのは1983年9月アルバムの1曲でした、83年12月にシングルカット、86年に再度シングルカット(この写真の盤です)。88年にJR東海のCM「クリスマス・エキスプレス」(1)に採用され爆発的に有名になりました。80年代後半の空気がよく伝わってくるCMでした。

 さてこの名曲には「カノン進行」というコード進行が使われていて、ベース音が順番にドシラソファミレと下がっていくのです。これが、スムーズな流れと優雅な響きををもたらすのです(2)。間奏にはパッフェルベルの「カノン」そのものが使われていて、山下さんによる多重録音アカペラつきです。曲全体が荘厳な雰囲気で本当にクリスマスにピッタリですね。

 そして歌詞世界も文学的です。「雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう」なんて奥行きのある世界。さらにすごいなあと思うのが韻を踏まえた言葉選び、「きっと君は来ないひとりきりのクリスマス」→キ→キ→コ→キ→ク、「叶えられそうもない/必ず今夜なら」カナ→カナ、リズムとつながりを感じます。

 曲も詞も山下達郎さんの才気が隅々まで詰め込まれた作品です。

 2023年もブログにおつきあいくださりありがとうございました。皆様よいクリスマスをお過ごしください、そして幸せな新年をお迎えください。2023/12/20(院長)

 

(1)88年  深津絵里(この年だけホームタウン・エクスプレスX'mas編という名称)、89年  牧瀬里穂、90年  高橋理奈、91年  溝渕美保、92年  吉本多香美

(2)この曲はキーAで、A →E/G#→F#m7→E6→DM7→C#m7→Bm7→E 、度数で言うとI→V/VII→VIm7→V6→IVM7→IIIm7→IIm7 →Vで、このI(ド)→VII(シ)→VI(ラ)→V(ソ)→IV(ファ)→III(ミ)→II(レ)という風に順番に下がるので順次進行とも言います。2番目のV/VIIって何?と思うかもしれません、Iの次にVを置くのはトニック→ドミナントの定番進行なのですが、これだとベース音が「ソ」になります、ここでVの転回和音を持ってくる工夫をするとベース音が「ド」から1個下の「シ」VIIにできるのです。

転回和音とは、例えばIをドミソとするとVはソシレですが→下のソを1オクターブ上げてシレソにして鳴らすのが第1転回形と言います。そしてこの和音の最も低音が「シ」つまりVIIになるのです。

同様にして他の和音も転回形を利用してベース音が1個ずつ下がるように作られた進行なのです。

 カノン進行はアレンジを加えながら多くの曲に使われています。

 

カテゴリ 音楽

←前の記事「雪組 ボイルド・ドイル・オンザ・トイル・トレイル/FROZEN HOLIDAY」次の記事「整数比直角三角形とtan2倍角の秘密」→最新ブログ記事→

2023年

11月

08日

テクノサウンドの普遍化「Romanticが止まらない」

壁の飾りをかえました。

C-C-B「Romanticが止まらない」昭和60(1985)年

 この曲、作った人たちが豪華!作詞:松本隆、作曲:筒美京平、編曲:船山基紀、プロデューサーは筒美先生の実弟の渡辺忠孝さんです。

 何といっても笠浩二さんがシンセドラムを叩きながら歌うスタイルが強烈なインパクトでした。彼らのファッション、髪型、メガネも印象的でしたね。笠さんの透明な高音も魅力でした(1)。

 イントロのシンセサイザー・サウンドから心を鷲掴みです。歌謡曲的なキャッチーなメロディ、テクノを導入し、ファンクの要素もある。当時の洋楽で言うと英国のニューウェイヴのような構成なんです。筒美メロディーは先端のものを取りこんで歌謡曲、アイドル、何でも創作されていましたからスゴイです。

 テクノ音楽の黎明は78年結成のYMOが実験的音楽にはじまりました(4)。3年後の81年にはすでにテクノは世の中に受け入れられていたわけです。このあとデジタル音楽技術は幅広くポピュラー音楽に浸透し大衆社会に消費されてゆきます。

 前回記事でお話したようにテクノサウンドは78年頃から始まり81年にはすでに世の中に受け入れられてきました。85年になると本曲のように歌謡曲にも組み込まれるようにもなったわけです。このあたりテクノサウンドが普遍性を持つようになってきた過程を見ることができます。このあと、CDの実用化、カラオケの普及、バンドブーム、J-POPなどにより日本の音楽は変化してゆきます。

 皆様機会がありましたら、C-C-Bの名作「Romanticが止まらない」もう一度お聴きください。(2023.11.8 院長)

 

(1)当初、笠さんはリードボーカルの予定でなかったそうです。レコードジャケット写真で笠さんが端っこなのがそれを物語っています。筒美京平さんが「この子の声で行く」と決めたそうです。

 

カテゴリ 音楽

←前の記事「80年代テクノ ハイスクールララバイ」次の記事「雪組ボイルド・ドイル/FROZEN HOLODAY」→最新ブログ記事→

2023年

10月

25日

80年代テクノ「ハイスクールララバイ」

 壁の飾りをかえました。前回の一風堂に続いて80年代電子音楽です。

イモ欽トリオ「ハイスクールララバイ」昭和56年(1981)作詞:松本隆、作曲:細野晴臣

 TVバラエティ「欽ドン!良い子悪い子普通の子」のメンバー、山口良一(ヨシオ)、長江健次(フツオ)、西山浩司(ワルオ)のシングル曲です。オリコン7週連続1位獲得、累計160万枚を売り上げる超大ヒットだったのです。こんなに売れていたとは知らなかった!(1)。

 YMO細野さんのメロディーがキャッチーであったこと、山口(ヨシオ)と西山(ワルオ)の掛け合いパフォーマンス(2)が大人気の理由だったと覚えています。

 曲は典型的初期YMOテクノサウンドです。「ライディーン」風のイントロから入ります、ハイハットのリズムが気分揚がりますね!シンセサイザー音がこの時代的です。山口さん(ヨシオ)はシンセ演奏の物まね担当。当時まだアナログシンセが主流、大きなコントロールパネルがついていて、YMO坂本教授はキーボード演奏しながら頻繁にダイアルやスイッチを触っていた、これをよく真似ています。時代を反映していますね。このあと83年頃からデジタルシンセが普及し(3)音色変換が簡略化され手元だけで済むようになりました。

 テクノ音楽の黎明は78年結成のYMOが実験的音楽にはじまりました(4)。3年後の81年にはすでにテクノは世の中に受け入れられていたわけです。このあとデジタル音楽技術は幅広くポピュラー音楽に浸透し大衆社会に消費されてゆきます。数年後にはユーロビート流行、簡易な音楽作成手段としてのカラオケ伴奏やスーパーマーケットのBGMにまで広まるといった具合です。

 80年代は様々なサウンドが発展した時代です。デジタルサウンドが広まり始めたきっかけである「ハイスクールララバイ」、機会がありましたらぜひお聴きになってください。(2023.10.25 院長)

 

カテゴリ 音楽

(1)デイリー新潮2023.9.30 「西山浩司が語る「イモ欽トリオ」秘話 ハイスクールララバイは160万枚売れたのに音楽賞はゼロ、紅白にも出なかった理由」

https://www.dailyshincho.jp/article/2023/09301106/

(2)長江のレコーディング中、暇だった山口と西山が、ふざけてスタジオでYMOの演奏真似をして遊んでいたものが採用された(Wikipediaより)

(3)83年にYMAHAがデジタルシンセDX-7を開発し一気にデジタル化が進みました。当ブログ「桑田佳祐さんがGSに捧げるオマージュ」

(4)当ブログ「YMOの功績 ライディーン」

←前の記事「開院10周年を迎えました」次の記事「Romanticが止まらない」→最新ブログ記事→

2023年

9月

20日

80年代の熱気「すみれ September Love」

9月も下旬というのに暑いですね。

一風堂「すみれ September Love」昭和57年(1982)作詞:竜真知子、作曲:土屋昌巳

 前回のNENA(ネーナ)大ヒットは1984年の話でしたが、その少し前、日本ではこんなことが起こっていました。小林克也ベストヒットUSA(1981年10月~)やSony Music TV(1983年12月~)で洋楽が身近に広まり、邦楽においては1980年にニューミュージックが衰退傾向、アイドル全盛時代に入れ替わりました。他方1978年からのYMOをはじめとするテクノ・ミュージック、そしてその流れをくむニューウェイヴ(new wave)・サウンドが80年代初めから台頭しました。

 一風堂はこのニュー・ウェイヴの嚆矢ともいえるロックグループです。まずビジュアルからして奇抜かつオシャレ。髪型、お化粧、衣装とも当時の最先端でした。近寄りがたいアーティスティックなオーラを感じました。もちろん音楽も、歌謡曲やアイドルはもとより商業系洋楽ロックとも違って芸術性高い感じでした。まあニューウェイヴというのはマイナーでちょっとわかりにくいって所に値打ちがあるというように認識されていた気がします。

 この作品は企画段階からカネボウのCMタイアップ曲(2)と決まっていてレコード会社と事務所による全く商業主義だったわけです。CMの効果もあり大ヒットしました(オリコン最高2位、年間売上21位)。芸術家肌の土屋昌巳さんがよくOKしたなあと思います。楽曲はファンク・リズムに軽快なサウンド、メロディーがキャッチーですからそこが大ヒットにつながったのでしょう。ここに土屋さんギターの技巧が光ります。そして当時最新のデジタル・テクノロジーをふんだんに使い、最新鋭サウンドを作っていたわけです(3)。ちょうどこの82年頃から急速にデジタル化が進み、様々な実験的なサウンド作りが広がり、その後の80年代音楽シーン全盛へ向かったように思います。

 ともあれ今2023年に改めて聴いても古さを感じさせない、不思議な魅力を持った曲です(4)。皆様、ぜひ一風堂(5)の「すみれ September Love」をお聴きください、そして80年代音楽シーンの熱気を感じてください。 (2023.9.20 院長)

 

(1)ニューウェイヴはメジャーレコード会社ではなくインディーズ(独立系小規模会社やレーベルのこと)での活動が多かったように思います。

(2)カネボウ化粧品「レディ80・パウダーアイシャドウ」のコマーシャル、ブルック・シールズが出演。この時代の日本は本当にお金があったのですね。

(3)ドラムパートは土屋さんがPCM音源を用いたサンプラーで打ち込んだとされています。

(4)土屋さんはこのあと商業的作品制作から離れ、自らのスタイルで創作活動を続けておられます。多方面にわたる才能を持った天才だなあと思います。

(5)なお余談ですが、ラーメンの「博多一風堂」は 当バンド名が店名の由来となっていることが本人たちの対談で明らかにされています。

 

関連年表

81年10月ベストヒットUSA放送開始

82年10月CD(コンパクト・ディスク)発売開始

82年10月 MIDI 1.0 規格(電子楽器の演奏データを機器間で転送・共有するための共通規格)

83年5月デジタルシンセサイザー ヤマハDX-7発売

83年7月任天堂ファミリーコンピューター発売

 

 ブログカテゴリ 音楽

←前の記事「東西対立と80年代洋楽サウンド ネーナ」次の記事「開院10周年をむかえました」→最新ブログ記事→

2023年

9月

06日

東西対立と80年代洋楽サウンド ネーナNENA

壁の飾りをかえました。

ネーナ「ロックバルーンは99」原題"99 Luftballons"(1) 1983年

演奏NENA、作詞カーゲスCarlo Karges、作曲ファーレンクロッグ=ペーターソンJoern-Uwe Fahrenkrog-Peterson作曲。

前回ブログ宝塚月組「フリューゲル」は1980年代東西ドイツ対立がテーマでした。思い出すのは、80年代ってまだ東西冷戦が常に身近にあったなあということです。1970年生まれ以上くらいの世代の人は皆この感覚を共有しているんじゃないかと思います。

そんな社会背景での1984年大ヒットです。西ドイツのロックバンド、NENAネーナの本作はまず西ドイツ国内で1位の大ヒット、そして偶然米国カリフォルニア州のラジオDJの耳に留まり放送したところ全米に拡散しビルボード2位まで上昇、さらに世界中でヒットします。日本でもSony Music TVや小林克也ベストヒットUSAでのミュージック・ビデオ流行に乗ってバカ売れしました。懐かしい。

わかりやすい明るいメロディー(2)のポップです、シンセサイザーがとても80年代的、チョッパーベースもゲート・リヴァーブを利かせたスネアドラムも80年代サウンド、懐かしい。歌手のネーナ(本名Gabriele Susanne Kerner)はアイドルのルックス、かわいかった!ドイツ語の響きが新鮮でした。英語以外の曲がTop10入りすることは極めて稀なのだそうです。

きわめて明るい楽曲に対して、歌詞は東西対立を風刺し反戦を訴えているのです(3)。80年代当時ってことあるごとに東西が対立し不安定でした。改めて聴くとあの頃の複雑な空気を思い出します。

皆様ぜひこのNENAをお聴きになって80年代のサウンドと空気を感じてみてください。(2023.9.6 院長)

 

(1)原題は「99個の風船」というシンプルな意味。邦題のつけ方はちょっと赤面するダサさですね。

(2)よく聴くとこの曲、メロディーは2つしかなく、大半がAメロの繰り返しなんですよ。これですべて押し切るとは力技です。同時期日本のシティポップの技巧的なサウンドとは対象的です。まあメロディーの力と時代の空気が後押ししたのですね。

(3)歌詞和訳サイトなども御参照ください

 

ブログカテゴリ 音楽

←前の記事「月組 フリューゲル/万華鏡」次の記事「80年代の熱気 すみれseptember love」→最新ブログ記事→

2023年

8月

02日

コード進行が同じ「ビーチタイム」

毎日暑いですね。壁の飾りをかえました。

TUBE「Beach Time(ビーチ・タイム)」昭和63年(1988)4月

作詞:亜蘭知子、作曲・編曲:織田哲郎

夏が来るとTUBEを聴きたくなりますね。

さてこの「Beach Time」は松田聖子「青い珊瑚礁」のカラオケで歌えることをご存知でしょうか。それはコード進行が全く同じだからなのです。この2曲が似ていることは昔から言われていて、いわばカラオケでのお遊び用ネタくらいに考えられていました。街の噂、つまり音楽好きアマチュアの間では「これはわざとやってるだろ」「いや偶然にちがいない」など色んな意見がありました。

実は当時のプロデューサー長戸大幸氏は意図的に完全にパクっていたと語っておられます。2021年エフエム滋賀のラジオ番組で長戸氏本人が、「TUBEのシングル曲「Beach Time」(1988)を、松田聖子の大ヒット曲「青い珊瑚礁」(1980)を模倣して制作したことを、明かした」のです(1)。長戸氏は「青い珊瑚礁」の元は有名な映画曲「慕情(Love Is A Many-Splendored Thing)」であり、さらにその源流はプッチーニ「蝶々夫人」であることを分析されています。それならば「青い珊瑚礁」に徹底的に似せて作ってみようとしてできたのがTUBE「Beach Time」というわけなのです。

聴いていただければわかると思いますが、アイドル曲をコード進行だけ流用したとはいえ、完全にTUBE独自のサウンドを作りだしています。そこには単なる借用というよりも、8年前のアイドル音楽は既に古いものとしてこれを完全に咀嚼し、一段高い視点から俯瞰して自由に使えているということです。これは相当な音楽的素養がないとできない技であります。すなわち日本のポップスがかなりの進化を遂げたことを表しているのだと思うのです。

実際、1980年からのアイドル黄金時代が終わり、1985年頃からバンドブームを経て日本の音楽は新世代になってゆき、80年代後半にはJ-POPという概念が確立しました。この時期から洋楽をあまり意識せずとも独自のポップスを作れるミュージシャンが激増しました。例えば長戸氏の音楽事務所ビーイング(2)の作りだした一連のアーティスト・作品がそうです。明治時代から始まった日本ポップスは長い間西洋音楽を自分のものにしようと努力を続けてきました(3)、昭和の終わりになってついに自国オリジナルの音楽を作り出せたように思います。

2023年の猛暑、日本ポップスの歴史に思いを馳せながら「青い珊瑚礁」と「Beach Time」の聴き比べして涼んでくださいませ。

まきの内科クリニックは8月11-16日まで夏休みをいただきます。

よろしくお願い申し上げます。 (院長 2023.8.2)

 

(1)https://being-music.net/2227/

TUBE「Beach Time」は松田聖子「青い珊瑚礁」を完全にパクった曲だった 長戸氏語る

(2)BEing 音楽事務所、85年TUBE、88年B'z、91年Mi-Ke、ZARD、川島だりあ、T-BOLAN、WANDS、92年大黒摩季 など

(3)「大瀧詠一のニッポンポップス伝」に詳しく歴史が語られています

カテゴリ 音楽

←前の記事 「花組鴛鴦歌合戦/Grand Mirage!」次の記事「宝塚月組 フリューゲル/万華鏡百景色」→最新ブログ

2023年

7月

05日

80年代アイドル黄金期の幕開け「青い珊瑚礁」

壁の飾りをかえました。7月なので夏らしい曲を。

松田聖子「青い珊瑚礁」昭和55年(1980)作詞:三浦徳子 作曲:小田裕一郎 編曲:大村雅朗

 三浦、大村コンビは昭和53年八神純子「みずいろの雨」で注目を集めました。ちょうどニューミュージックが全盛の年です。一方アイドル勢は不発が続いていました。その後昭和55年(1980)ニューミュージックがそろそろ下火になったころ、新しいアイドル松田聖子が「裸足の季節」でデビューしました。資生堂「エクボ洗顔フォーム」CMとタイアップし人気を上げます。2枚目シングル「青い珊瑚礁」は、松田の特長である伸びる高音を冒頭におくことで、印象を決定づけています。ここから立て続けにヒットを飛ばします。松田聖子の成功をきっかけに、80年代アイドルの時代が続きました。

 80年代アイドル・サウンドはニューミュージックの洗練を取り入れた新しいサウンドと言えましょう。70年代アイドルの音とは明らかに異なります。77~79年頃のニューミュージック全盛期、即ちアイドル低迷時代のギャップを経由したことにより70年代スタイルと隔絶できたのだと思います。

 作曲の小田裕一郎さん、初ヒットはサーカスのアメリカン・フィーリング昭和54年、滑らかで音の取りやすいメロディラインを持ちながらシティポップ的なセンスも高い(1 レコードコレクターズ2014年11月)こののちも多数アイドルに楽曲を提供。

 大村さんの編曲は清潔感があって軽やかです。当時のヤマハ系、ポプコンの特徴ともいえます、しかしよく聴いてみると楽器は多く複雑な構成で、プロのサウンドという感じがします。

 作詞の三浦徳子さんも「みずいろの雨」が出世作となり、79年にはシティポップ作品松原みき「真夜中のドア」も書いています。80年松田聖子の作品に続き次々にアイドルの作詞でヒットを出します。

 当時院長は中学生、アイドルには興味がありませんでした。今もそれほど好きではありませんが、大人になって研究として聴くにつけ、アイドル・サウンドにおける作詞・作曲・編曲・演奏のプロ達の技巧の凝らし方が偉大だったのなあと感じます。

 皆様機会がありましたらぜひ80年代アイドルサウンドの契機となる「青い珊瑚礁」をお聴きになってください。 (2023.7.5 院長)

 

カテゴリ 音楽

←前の記事 「みずいろの雨」次の記事 花組「鴛鴦歌合戦/Grand Mirage!」 最新ブログ

2023年

6月

21日

梅雨ですね「みずいろの雨」

壁の飾りをかえました。

八神純子「みずいろの雨」昭和53年、詞:三浦徳子、曲:八神純子、編曲:大村雅朗

 梅雨なので雨の歌にしたのですが、実は9月発売なんですね。10月19日TBS「ザ・ベストテン」今週のスポットライト出演をきっかけに大ヒット。オリコン最高2位、60万枚まで売れました。

 八神さんて本当に歌上手ですよね。そして作曲・作詞の才能もあって。天才を感じます。そしてこの時代独特のサウンド。最近の言い方ですと「シティポップ」風なんでしょうか。聴くとあの頃の独特の空気があります。

 最近、もしかしたらその空気とは「ポプコン」的サウンドなのではないかと思うようになりました。「ポプコン」、今の人には聞きなれないかもしれません、「ヤマハポピュラーソングコンテスト」(1)の略称です。都会的でおしゃれでスマートで色んな分野を取り入れた感じのサウンドです。対極にあるのはロック、ロックンロール、ハードロック、リズム&ブルース、ソウル、歌謡曲、演歌です。こういうコテコテな要素ではない、きれいなサウンドがポプコン的という気がします。うまく一言で言い表せずスミマセン。

 さてこの曲のポプコン色は八神さんの経歴をみると明らかです。昭和49年(16歳)でポプコン優秀曲賞、翌年もポプコンで優秀曲賞に入賞。昭和53年1月にプロとしてレコードデビュー、デビュー当初からネム音楽院(=のちのヤマハ音楽院)出身の選抜メンバーで構成された専属バックバンドを率いていたということです。また編曲の大村雅朗さんはネム音楽院(ヤマハ音楽院)出身、ヤマハ音楽振興会に入りポプコンやコッキーポップ用の楽曲アレンジなどに携わっています。やはりポプコン色濃厚です。八神さんのヒット作(ポーラスターやパープルタウン、Mrブルーなどの)も編曲されていますね。

 ポプコンに受賞し、デビューした方々(2)をみると何となくあの頃の雰囲気が思い出されます。ポプコン・サウンドとヤマハ系列、あの時代の一大分野と言っても良い気がします。誰か音楽雑誌などで分析研究してくれんかな。

 皆様、梅雨で家にこもりがちの際は、ぜひ「みずいろの雨」ポプコン・サウンドをご鑑賞ください。(2023.6.21 院長)

 

(1)Wikiより:ヤマハポピュラーソングコンテストは、ヤマハ音楽振興会の主催で1969年から1986年まで行われたフォーク、ポップス、ロックの音楽コンテストである。第6回からはアマチュア向けのプロへの登龍門として開催されるようになった。グランプリ優勝者には自動的にレコードデビューが約束され、世界歌謡祭の出場資格を得ることができた。

(2)Wikiより:谷山浩子、八神純子(1974年)、渡辺真知子、中島みゆき、因幡晃(1975年)、佐々木幸男(1976年)、世良公則&ツイスト、安部恭弘(1977年)、佐野元春、長渕剛、円広志、大友裕子(1978年)、チャゲ&飛鳥、クリスタルキング(1979年)、Side by Side(伊丹哲也、十川知司)(1980年) 、雅夢(三浦和人)、きゅうてぃぱんちょす(杉山清貴&オメガトライブ)(1980年)、伊藤敏博、アラジン(高原兄)(1981年)、あみん(岡村孝子)(1982年)、TOM★CAT、辛島美登里(1983年)

 

カテゴリ 音楽

←前の記事 「星組1789バスティーユの恋人たち」|次の記事「」→ |最新ブログ

2023年

5月

24日

ダブルトラック「ロール・オーバー・ベートーヴェン」

壁の飾りをかえました

The Beatles "Roll Over Beethoven" 1963年 作曲作詞Chuck Berry

2枚目のLP"With The Beatles"B面1曲目です(1)。ビートルズのオリジナルではなく、チャック・ベリー御大の作です(1956年)。ビートルズはレコードデビューする前からライブでレパートリーにしていました。62-63年頃のライブではジョージのテーマ曲になっていました。ジョージの歌にギターソロですからファンにはうれしい一曲です。イントロのギターが始まると客席が熱狂する光景が映像に残っています。ライブではリンゴのドラムもポールのベースもノリノリなんですよね。

 一方レコード録音を聴くと、ライブに比べて随分おとなしい印象です。ジョージは結構クールな感じで歌っていますね。でも演奏に負けない厚みのあるサウンドになっています。これがダブルトラック(オーバーダビング)の効果です。つまりはじめに録音した歌にもう一度同じ人の歌を重ねるのです。このボーカル二重録りは当時画期的なアイデアだったと言われます。同時期62-63年の他のポピュラー音楽と比べれば一聴瞭然です(2)。単一録音またはエコーでふくらましたサウンドとは違います。当時これをやってるグループはほとんどないはずです。この曲でははじめのトラックで演奏と歌を一発録りし、次に歌とハンドクラップ(手拍子)を重ねているようです。なおこのLPでは”All my loving”でポールが自身でハモりをつけています、またジョージの"Don't bother me"もダブルトラックです。録音の工夫をチェックするのはビートルズ鑑賞の醍醐味ですね。

 この曲他にも魅力がたくさん詰まっています。ジョージのギター・ソロはもちろん、ポールのベース、ジョンの正確なリズムギター、リンゴ・スターのドラム、賑やかなシンバル(3)、そして切れのあるホットなフィル・イン、どれもビートを感じますね。

 ビートルズを語るとつい熱くなってしまいすみませんです。LP”with the Beatles”には初期ビートルズの魅力がたくさん詰まっています。機会がありましたらぜひお聴きください。(2023.5.24 院長)

 

(1)日本では写真のようにシングルで発売されました

(2)ロックで初めてダブルトラックを使ったのはバディー・ホリーと言われています。ビートルズ憧れのミュージシャンですね。"Words of love"で使われています。

(3)オープン・ハイハットかもしれません。でもライブ映像をみるとシンバルを叩いていますね。リンゴはシンバルの端をスティック中間部で叩くのが特徴で、ジャズっぽくチンチンと鳴らすのではなくシャンシャンという音色です。

 

カテゴリ 音楽

 ←前の記事 雪組「ライラックの夢路/ジュエル・ド・パリ」次の記事「宝塚星組 1789-バスティーユの恋人たち-」→最新ブログ

2023年

4月

19日

ジョンの三連符"All My Loving"

The Beatles "All My Loving"1963, Lennon-McCartney 

 三連符シリーズ3回目です。有無を言わせぬ名曲です。どこが三連なのかというとジョンレノンのリズムギターです。

 ロッカバラードと違ってかなり速い、6連だと言う人もいますね。そして1番目と4番目にきっちりアクセントをつけて正確です。ものすごくドライブしています。作曲はポールなのですが、ジョンの三連符ギターがあることでスゴク情熱度が増すのです。

 ギターはリッケンバッカー325です(1)。ギブソンだと重く粘い、フェンダーはキラキラしすぎ、やはりこの三連はリッケンバッカー独特の乾燥した音色がイイですね。楽譜やライブ映像をみると1-4弦しか弾いていないようです。確かにこの速さと軽さを出すには低音5,6弦は不要です。

 さてこの曲は聴きどころがいっぱいあるのです。ポールのランニングベース、楽譜だけみるとただの四分音符ですが4ビートスイングリズムです。リンゴのドラムはシャッフルビートでこれもスイングっぽい感じです。ジョージのソロ演奏はチェット・アトキンス風のカントリーギター(2)。そしてコーラスワークもカッコいいんですよ(4)。どれもこれも溶けあって名曲になったのですね。

 皆様"All My Loving"をぜひお聴きください、そして耳をすましてジョンレノンの三連符ギターにご傾聴ください。(2023.4.19 院長)

 

(1)2枚目の写真。30年前たくさんバイトして買いました。最近はめっきり弾かなくなりました。

(2)ついでにジョージのギター機種はグレッチのカントリージェントルマン。この当時ジョージはカントリーギターの名手チェットアトキンスに憧れていたそうで、同じ機種を使っていたといいます。わかるわかる、ファンなら同じ楽器買いたくなりますよね。⇒(1)もそれです。

(3)気付いた方もいるかもしれませんが、ジョンのギターパート以外はけっこうシックな曲構成になっているのです。ここにジョンの三連符ギターが加わり、ビートと情感が与えられたのですね。

(4)当時ビートルズ得意の録音技術、ダブルトラック(同じ人が2回ダビングで重ねて録音すること、音が分厚くなる)が使用されています。ポールのメインボーカルがダブルトラックです。

 

カテゴリ 音楽

←前の記事「宙組トップスター真風涼帆さん」次の記事「雪組ライラックの夢路/ジュエル・ド・パリ」→最新ブログ

2023年

3月

01日

三連符の魅力Only You, Great Pretender

壁の飾りをかえました

ザ・プラターズ”Only You”1955年作曲・作詞Buck Ram

 三連符ってどんなの?と聞かれたら、日本の曲だと津軽海峡冬景色、洋楽なら”Only You”でしょう。

 これこれ!このイントロですよ。この三連符から盛り上がりますね。リード歌手のトニー・ウィリアムズ、ファルセットが本当に気持ちよく抜けます!そしてきれいなドゥーワップコーラス。バックの演奏でずっと三連符が鳴っているんですね。ヴォーカルは4分の4で、バックが三連符。ハチロク(8分の6)とか8分の12と言われることもあります。三連符をベースにしたドゥーワップやロックやポップスのことを「ロッカ・バラード」と言ったりします。三連符って哀愁や情熱の感じがでますよね。

 "Only You"はビルボードR&Bチャートで7週連続1位、全米ポップチャート5位まで上昇し、大ヒットしたそうです。プラターズは続いて同じ年(55年11月)に「グレート・プリテンダー」"The Great Pretender"を発表し56年にR&Bと全米ポップチャート両方とも1位に輝きました。この曲も三連符のドゥーワップでいい曲なんですよ。(1)

 皆様、機会がありましたら三連符の名曲"Only You", "The Great Pretender"ぜひお聴きください。(2023.3.1 院長)

 

(1)2曲とも映画「アメリカングラフィティ」で印象的に使われていました。若いとき何十回いや百回以上観ましたからシーンを思い出します。次の曲へのつながりも、ウルフマンのDJも覚えました、懐かしいなあ。

 

ブログカテゴリ 音楽 

←前の記事 「月組 応天の門/ Deep Sea」次の記事「宙組 カジノ・ロワイヤル」→最新ブログ記事→

2023年

2月

01日

魅惑の三連符「津軽海峡・冬景色」

壁の飾りをかえました。

石川さゆり「津軽海峡・冬景色」昭和52年作詞:阿久悠、作曲:三木たかし

 まだまだ寒い日が続きますね。北国の歌を聴いています。石川さゆり19歳時の歌唱です、上手いですね~!若いのにこんなに力強い情感が出せたなんてスゴイです。

その情感は歌の力以外にも、曲にいろんな仕掛けがあるからなんですね。

 まずは特徴的な三連符リズムです。うえの/はつの/やこう/れえしゃ/おりた/ときか/らー、見事に3個ずつです。大アクセントを奇数節の1個目、中アクセントを偶数節につけます。三連符はアクセントがないとダラっとしてしまいます。これ洋楽でいうロッカバラードのリズムです、昔のリズム&ブルースやオールディーズによく使われました。三連符は強い情念を伝える力を持っています。

 メロディーですが、この曲は演歌ということにはなっていますがヨナ抜き(2)ではありません。Aマイナー(イ短調、主音ラ)です、白鍵盤をラから順番に弾くとこれになる。7番目の音ソは1回だけ出てきます、ただしソ#です(3)。ヨナ抜きほど日本風ではないメロディーでちょっとメランコリックな洋楽的な響きも残すのです。そしてコード進行が凝っていてツー・ファイブ・ワン(IIm7-V7-I)進行が使われています。ジャズでよく使われると言います。「青森駅は」の次「雪のなか」、最後の「津軽海峡冬景色」のところがBm7♭5→E7→Amです。定番のIV-V-I進行(4)の最初のIVを代理コードIIにしたヤツです。定番のIVよりもちょっと不安定さがあってカッコよくなり、さらにルート音がシ→ミ→ラと5度ずつ下がることによって、IV-V-Iより力強さがでるとされています。この進行で曲が伝えたい情念がさらに強く表現されるのです。

 作曲の三木たかし先生は、三連符、西洋音階の短調、ツーファイブ進行など様々な技巧を盛り込んでおられるんですね。そして阿久悠さんの作詞と石川さゆりさんの歌唱がみごとに溶け合った名曲です。

 今ではいわゆる「演歌の代表曲」的に思われていますが、こうやって聴くとなかなか洋楽のエッセンスも取り入れていてカッコイイなあと思います。そういえばこの時代の石川さゆりさんはドレスで歌っていました(5)。歌番組、レコード会社、芸能事務所も「石川さゆりは和服演歌とは一線を画しポップスで売り出す」という認識であったのだろうと推測されます。

 皆さま機会がありましたらこの三連符の名曲ぜひお聴きください。(2023.2.1院長)

 

(1)その昔ギターを練習したとき初心者向けのギター教本で、三連符のページで「津軽海峡冬景色のリズムです」と書いてありました。誰もが歌えるほど浸透していたのです。

(2)ヨナ抜き音階:前回ブログ「函館の女」を御参照ください

(3)ちなみに7番(ソ)を#半音上げた短調は和声的短音階と言って、主音(ラ)で終止させる力を強める働きがあります、だからフィナーレの「ふゆげーしき」が「し(ソ#)き(ラ終止)」となっているのです。

(4)カデンツ進行:安定して終止させる和音進行、数種類定番がある。Iは主音のドが根音ドミソ和音これが最も安定、IVは4番目のファが根音ファラド、Vは5番目ソが根音ソシレ。

(5)昭和52年2/28歌のベストテン、12/20FNS歌謡祭優秀歌唱賞、12/31日本レコード大賞・歌唱賞、12/31紅白歌合戦、この辺すべて洋装です。昭和63年頃までドレスで歌っている画像が残っています。

ブログカテゴリ 音楽 

←前の記事 「函館の女」次の記事「宝塚月組 応天の門/Deep Sea」→最新ブログ記事→

2023年

1月

13日

ヨナ抜き音階「函館の女」

壁の飾りをかえました。

北島三郎「函館の女」昭和40年作詞:星野哲郎、作曲:島津伸男

 寒くなると北国を歌った曲を聴きたくなります、なぜでしょうか?。寒さを忘れるため夏の曲でもよさそうなのに。さて冬らしい曲のうちなぜサブちゃんなのかというと、前々回クリスマスソングの「ママがサンタにキッスした」を聴いているときからずっと「函館の女」が頭をぐるぐる回って耳から離れないからです。

 理由はわかっています、出だしが途中まで同じ音階だからです(1)。これがヨナ抜き音階とかペンタトニックと言われるアレです。ヨナ抜きとは、通常のドレミファソラシの7音から4番目ファと7番目のシを抜いた5音階です。日本で古くからある音階であり、日本的メロディーになると言われています。「ママがサンタに」はヨナ抜きで始まり途中からリズム&ブルースを交えた通常音階になりますが、「函館の女」は終わりまで完全にヨナ抜きです(2)。

 「函館の女」サブちゃんの歌唱は演歌の歌い方ですし、曲もヨナ抜き音階だし、確かに演歌に分類されます。しかし演奏をよく聴いてみると、いわゆる「演歌」でない部分があります。バックの演奏は明るいんですよ。管楽器はラテンの響きで、北国の暗さはありません。ギターなんかポールアンカ「ダイアナ」、ニールセダカ「オー、キャロル」のままですよ!

 これは昭和40年時点ではまだ「演歌」が確立されていなかったからと考えられます。以前の記事で書きましたが、「演歌」は昭和40年代に商業的に作られたもので、それまでは単に流行歌、歌謡曲でしたから大衆が好むものなら何でも様々なリズムやスタイルを取り入れた曲が多かったわけです。「函館の女」はそんな過渡期の曲と言えましょう。いずれにしてもサブちゃんの名歌唱とともにヨナ抜き音階と陽気なバックとのバランスが大きな魅力です。

 皆さま寒さ厳しい折です、北国に思いを馳せながらぜひこの名曲をもう一度お聴きください。(2023.1.18院長)

 

ブログカテゴリ 音楽 

(1)はーるばるきたぜはこだててへー(ドーレミソラドレミミミミミー)、I saw Mommy kissing Santa Claus (ドーレミソラド シソミ) ついでにテンプテーションズの「マイガール」まで脳内で同時に鳴ってきます。これもペンタトニックです。

(2)ピアノの黒鍵を順に弾くとヨナ抜き音階になっています。古畑任三郎が「函館の女」をピアノの黒鍵だけで弾くという有名な場面があります。試しにやってみてください。

←前の記事 「花組 うたかたの恋」次の記事「津軽海峡冬景色」→最新ブログ記事→

2022年

12月

14日

クリスマス「ママがサンタにキッスした」

壁の飾りをかえました。

 ジャクソン5「ママがサンタにキッスした」1970年原題”I Saw Mommy Kissing Santa Claus” 作詞・作曲:トミー・コナー

オリジナルは1952年7月ミシシッピ出身のジミー・ボイド少年の録音、その後数多くの歌手がカバーしました。このジャクソン5バージョンが最も有名ではないでしょうか。

 歌手は天才少年マイケル・ジャクソン(1)。録音したのはまだ12歳の誕生日前です。もう何も言わずに、かわいらしい、のびのびとしたマイケルの声を聴いてください!

 歌詞の内容はクリスマスのほほえましいお話です(2)、題名からでもわかりますよね。よく聴いてみると曲の最後で、マイケルが「もうみんな信じてよ、本当に見たんだから」と言いますが、家族はまるで取り合ってくれません。ここもかわいいですね。幸せいっぱいの歌です。

 ジャクソン5のクリスマス・アルバムもあります。いい曲がいっぱいです。皆様ぜひさがしてお楽しみください。

 2022年もブログにおつきあいくださりありがとうございました。皆様よいクリスマスをお過ごしください、そして幸せな新年をお迎えください。2022/12/14(院長)。

 

(1)写真左上の少年です。マイケルジャクソンは1958年8月29日生まれ、この曲を含むLP”Jackson 5 Christmas Album”は1970年10月15日にリリースました。録音は12歳の誕生日前といわれます。

(2)歌詞に I saw Mommy kissing Santa Claus/ Underneath the mistletoe last night. とあります。mistletoeとはヤドリギのことだそうです。英米ではクリスマスにヤドリギの下にいる相手にキスをする風習があるそうです。もともとスカンジナビアの伝説が由来で、ヤドリギの下で出会った男女はキスをしなければならない、そしてヤドリギの下でキスをした二人は幸せになれる、というものだそうです。なるほど、だからUnderneath the mistletoeなのね。これまた幸せな話ですね。勉強になりました。

 

カテゴリ 音楽

←前の記事「夜明けのスキャット」次の記事「宝塚花組 うたかたの恋/ENCHANTEMENT」→最新ブログ

2022年

11月

30日

秋の夜中に(2)「夜明けのスキャット」

壁の飾りをかえました。

由紀さおり「夜明けのスキャット」昭和44年 作詞:山上路夫、作曲:いずみたく

 不思議な曲です。ワンコーラスまるまる歌詞なし、スキャットだけという思い切った曲です。2番は歌詞ありです。透き通る歌声、夜にぴったりです。

 もともとスキャットの部分だけ「夜のバラード」(1)という夜のラジオ放送のテーマ曲に使われたそうです。由紀さおりさんはデビュー当初ヒット曲がなくCMやTVラジオ主題歌の仕事が多く、明治製菓のCMも歌っていました。あの有名な「チョッコレート、チョッコレート、チョコレートは明治」も由紀さんです。このラジオ番組は明治製菓の提供だったので由紀さんがテーマ曲の歌手に誘われたということです。作曲のいずみさんが走り書きで書いた楽譜を渡され、その場で「適当に言葉をつけて歌って」と言われたそうです。それでスキャットになったわけです。こんないい加減な経緯で出来た曲ですが番組で放送してみると、問い合わせが殺到しました。そこで歌詞もつけてレコード化されたのです(2)。昭和44年3月10日にリリースされ、100万枚以上の大ヒットになりました。そして同年末の第20回NHK紅白に初出場しています。

 後年、米国のジャズオーケストラ”ピンク・マルティーニ”と由紀さんのコラボアルバム「1969」が世界的大ヒットし(3)、再び「夜のスキャット」が注目されました。

 皆様、静かな夜にぜひ由紀さんのスキャットをお聴きください。2022/11/30(院長)

 

(1)東京放送(現在のTBS)放送期間:昭和41年6月20日 - 46年9月30日、放送時間:月-金 22:40-23:00

(2)この経緯は由紀さおり著「明日へのスキャット」集英社にしるされています。

(3)2011年10月にリリース。カナダ、シンガポール、米国、ギリシャ、日本でチャート獲得。他の「ピンクマルティーニ」作品もおすすめです。院長お気に入りのバンドです。

 

カテゴリ 音楽

←前の記事「星組 ディミトリ/JAGUAR BEAT」次の記事「クリスマス ママがサンタにキッスした」→最新ブログ

2022年

11月

02日

秋の夜長に「夜間飛行」

 

壁の飾りをかえました。

ちあきなおみ「夜間飛行」昭和48年作詞:吉田旺、作曲:中村泰士

 さて前回までにお話した、1977年前後に生まれたシティポップは複雑な技術を用いた新しい曲のジャンルでした。しかしその少し前の時代からすでに職業作家による凝った作りの曲がちらほら出ています。この吉田、中村コンビによるちあきなおみ作品もその一つだと思います。

 昭和47年レコード大賞の「喝采」そして48年2月「劇場」に続く本作48年6月「夜間飛行」はのちにドラマチック歌謡3部作と言われるようになりました。どれも名作です。 

 歌謡曲でもないジャズでもないロックでもない、しっとりした曲調で、いわばヨーロピアンでしょうか。ベースラインがかっこいいんですよね。そしてオーケストラも流麗。間奏でフランス語機内アナウンス(1)が一気にドラマの世界へ惹きつけてくれます。パリ、オルリー空港(2)に着陸前、揺れながらゆっくり高度を下げる機体、窓越しの情景が広がります。ひとつのドラマが進んでいくかのような曲作り。そしてちあきなおみさんの歌唱は超絶表情豊か、劇を観ているかのようです。

 秋の夜長、音楽をじっくり聴くのにによい季節です。皆様ぜひちあきなおみさんの名作をご鑑賞ください。 (2022.11.2院長)

 

(1)「皆様、当機は間もなくオルリー空港に到着いたします。眼下にパリの明かりがご覧いただけます。弊社をお選びいただきまことにありがとうございます。それでは良いご旅行を、さようなら。」

Mesdames et messieurs, dans un moment nous arriverons à l'Orly. Nous apercevons une lumière de Paris. Nous vous remercions d'avoir choisi notre compagnie. Bon voyage. Merci. SAYONARA.

(2)オルリー空港は、シャルルドゴール空港ができる前のパリの国際空港です。昔の本や映画なんかに出てきますね。オルリーの名が出てくるのも現代に聴くとノスタルジック。

 

カテゴリ 音楽

←前の記事「シティポップ(2)真夜中のドア」次の記事 星組「ディミトリ/JAGUAR BEAT」→最新ブログ

2022年

10月

19日

シティポップの時代(2)「真夜中のドア~Stay with me」

壁の飾りをかえました。

松原みき「真夜中のドア~Stay with me」昭和54年作詞:三浦徳子、作曲:林哲司

 近年のシティポップ再評価の流れでこの曲は外せないと言われています。作曲の林哲司さんは昭和54年8月に竹内まりや「September」、続いて11月に本作品をリリースしシティポップの世界で有名になりました。

 この時代のシティポップの特徴がよく感じ取れる曲で、ファンクのリズムに跳ねるベース、カッティング・ギターとオシャレな感じです。シティポップの前に大流行したディスコ・ソウルほど重くなく、軽快なAOR(adult oriented rock)を体現した楽曲です。松原みきの歌唱はジャズヴォーカルをベースにして少しハスキーながら伸びのある声質です。何と録音時19歳7か月!若さ溢れるパワーがありその一方で大人さの面もある魅力的な声です。

 松原みきさんはこの時期大阪のMBSヤングタウンというラジオ番組に出演されていました。確かあのねのね原田伸郎さんと一緒だったと思います。おそらくこの曲は40年ぶりに聞いたわけですなぜか鮮明に覚えていて不思議に感じたのですが、きっと昔ラジオで何度も聴いたのでしょう。

 当時シティポップに興味はなく、ラジオでかかっているのを聴き流していただけです。いま改めて聴きますと凝った曲作りに驚きます。

 皆様、ぜひあの頃のシティポップをお聴きになってみてください。(2022.10.19院長)

 

カテゴリ 音楽

←前の記事 雪組「蒼穹の昴」次の記事 秋の夜長に「夜間飛行」→最新ブログ

2022年

9月

13日

シティポップの時代「SEPTEMBER」

壁の飾りをかえました。

竹内まりや「SEPTEMBER」昭和54年作詞:松本隆、作曲・編曲:林哲司

 日本のシティポップが世界で再評価されているそうです。「シティポップ」とは欧米の音楽の影響を受け洋楽志向の都会的に洗練されたメロディや歌詞を持つポピュラー音楽、とされています(1)(2)

 当時「シティポップ」という呼び名はなくて、フォークもロックもまとめて「ニューミュージック」だったように思います。後年になって「シティポップ」の名前がつきました。ロックやフォーク寄りではなく、アメリカ西海岸のAOR(adult oriented rock 大人向けのムードある優しい洋楽)に近いサウンドを日本のミュージシャンが目指していたのですね。そしてなんと40年たった2010~2020年代から外国で日本のシティポップが注目され、Youtubeなどで爆発的に流行しているそうです。それまで日本の音楽は外国のマーケットに出ることがなく入手困難、そしてそもそも日本語の壁があるので検索すらできませんでした。しかしネット時代が到来、動画サイトの普及でアクセスが容易になり、世界の音楽マニアが日本の70-80年代「シティポップ」を発掘することになったのです(2)。

 さて竹内まりやさんは当時、慶応大学在学中、軽音サークル「リアルマッコイズ」(3)に所属し音楽活動をおこない、メジャーデビューしました。この「SEPTEMBER」は3枚目のシングルです。夏休みが終わり9月になって失恋するという悲しい内容の歌詞にたいして、瀟洒なサウンド、カッコイイコード進行、竹内まりやの爽快なボーカル、そしてコーラスワーク(4)がほんとお洒落です。

 シティポップが描くのはちょっと現実離れしたお洒落な世界です。当時バブル時代に向かっていた西側の東京の空気を映していると思います。竹内まりやさんその人も、慶應大学で軽音サークルでいいとこの子でミスコンテスト受賞で・・・と別世界です。

 たしかにあの頃はこんな音楽がよくラジオから流れていたなあと思い出します。当時は何だかカッタルイ感じに捉えてよく理解できませんでしたが、大人になって聴きなおしてみるとカッコいいサウンドです。

 秋になってまいりました音楽をじっくり聴くのにによい季節です。皆様ぜひシティポップをご鑑賞されてはいかがでしょうか。 (2022.9.14院長)

 

カテゴリ 音楽

 

(1)Wikipedia:大瀧詠一、山下達郎、吉田美奈子、荒井由実、竹内まりや、大貫妙子、南佳孝などがシティ・ポップの基盤を作り上げていったとされる。

(2)詳しくはレコード・コレクターズ2022年9月号「シティ・ポップの再定義」、2020年6&7月号「シティ・ポップの名曲ベスト100」、2018年3&4月&9月号「シティ・ポップ」特集をご参考にしてください。

(3)リアルマッコイズには杉真理さんもいたそうです。スゴイ!

(4)コーラスにEPOさんが参加しています。なんとB面の「涙のワンサイデッド・ラヴ」のコーラスは山下達郎さん(のちに竹内さんと結婚)&吉田美奈子さんと豪華ですね。

 

←前の記事「宝塚宙組 HiGH&LOW」次の記事「雪組 蒼穹の昴」→最新ブログ

2022年

8月

17日

残暑もエレキ「エレキの若大将」

 

 壁の飾りをかえました。

加山雄三「夜空の星」昭和40年、作詞:岩谷時子、作曲:弾厚作、演奏:寺内タケシとブルージーンズ

 お盆も過ぎたというのにまだまだ暑いです。夏の名残にまだエレキを聴いています。

加山雄三の映画「エレキの若大将」の主題曲です。

 この曲で勝ち抜きエレキ合戦を勝ちあがっていくんですよね。対抗バンドのジェリー藤尾の指示で青大将(田中邦衛)がギターアンプの電源をぬいて音が鳴らなくなり、でも加山さんはひるまず電源を入れなおし演奏を再開、エレキ合戦なのに歌い出したりして、結果見事優勝するのです(1)。

 レコード用の録音ではボーカルの音量が大きくてギターが目立たないのですが、耳を澄ませてバックのギターを聴いてください、寺内タケシさんのテクニックがスゴイんです。なお寺内さんは「蕎麦屋のタカシ」という役名で登場し、若大将の家で初めてエレキを教えてもらう、という設定なのですが、エレキを触って5分でめちゃくちゃ巧く弾けるようになります。まあ観ている客も「寺内さんだからいいか」と納得するわけです。

 映画のサントラ録音もカッコいいですので是非お聴きください。出だしはインストでトレモロ・グリッサンド(2)(=テケテケ)も入ってて、インストの方がギターサウンドをよく味わえます。

 さて当時はエレキは不良のものだったはずなのに、子供も観る映画(3)で若大将がエレキを弾きまくっていいのか?という疑問が浮かびます。しかしそれもこれも加山雄三さんがハンサムでクリーンで上品だから、何でもOKなのです。そして作曲が加山さん本人によるということも歌謡曲の歴史上重要です。つまりシンガーソングライターの嚆矢であるということです(4)。

 残暑が厳しいですが、まだ暑い時こそ名残のエレキ、若大将の名曲をぜひお聴きになってください。 (2022.8.17 院長) 

 

(1)演奏できなくなって歌でカバーして優勝、これは石原裕次郎「嵐を呼ぶ男」と展開が同じ。

(2)寺内タケシさんのテケテケは指板を押さえる指が人差し指と薬指2本使う独特のスタイルです。一音一音くっきり出ることが特徴です。

(3)なお「エレキの若大将」の併映は「怪獣大戦争」でした

(4)この時期くらいまではレコード会社専属作家制度が根強く残っていて、曲というものは作曲・作詞の先生に書いていただくものでした。作曲プロセスの固定化から新しいスタイルを作り難しかったと言います。自分で作曲して歌うなんてとんでもないことだったのです。加山雄三さんは弾厚作というペンネームを使っています。

 

カテゴリ 音楽

←前の記事「月組 グレートギャツビー」次の記事「宙組 HiGH&LOW/Capricciosa!!」→最新ブログ

2022年

7月

20日

メロディーの力「岬めぐり」

壁の飾りをかえました。「岬めぐり」山本コウタローとウィークエンド昭和49年 作詞:山上路夫、作曲:山本厚太郎

 「走れコウタローと岬めぐりのたった2曲で38年!」山本さんの定番自虐ネタです。これでまず笑いをつかんでおられました(1)。

 昭和45年一橋大学在学中にソルティー・シュガー「走れコウタロー」が大ヒットオリコン1位獲得。ソルティー・シュガーは1年で解散。大学を卒業し、昭和49年に山本コウタローとウィークエンドを結成しヒットしたのが「岬めぐり」です。

 「たった2曲でウン十年」というのはスゴイことで、楽曲の力がそれだけ強いのだと思います。

 岬めぐりは山上路夫が作詞し、当初「かぐや姫」の南こうせつに曲を依頼したところマイナーで悲しい曲調ができました。「女にフラれてジメジメしているというのはコウタローのイメージに合わない」と周囲がいうので結局本人が作曲することになったそうです。20分くらいであの曲ができたというのです。詞の内容は物悲しいですが、曲は爽やかで朴訥としたイメージです。

 ネットなどで検索すると”素直な”コード進行と言われていますが、実際にコード譜をみながら曲を聴いてみると、7th音やちょっとした外し音を効果的に使いメロディーを印象付けているところがありますし、終止せず無限ループに入りやすいコード構成も取り入れています、これがあると何度も聴きたくなる、つまり耳から離れない曲になるのです。またフォークギターが16ビートともとれる前のめりリズムでスピードがあります。その辺がこの曲の持つチカラの源なのではないかと思っています。

 当時院長は小学低学年で「岬めぐり」を聴く年代ではありませんでした(2)。山本さんをよく見たのは後年「笑っていいとも」にレギュラー出演されていた頃です。いつもヘラヘラ笑っている面白いタレントさん、いうイメージでした。その後は「午後は○○思いっきりテレビ」の司会者、「渡る世間は鬼ばかり」に俳優で出演、大学教授、社会文化活動、と幅広く活躍されました。

 皆様機会があればぜひ「岬めぐり」の曲の力をご鑑賞ください。そしていつも楽しそうに笑っていた山本コウタローさんを思い出してください(3)。

 2022.7.20(院長)

 

(1)2008/10/03四国新聞 2008/10/03文化放送

(2)なぜか「走れコウタロー」はみんな知っていました。競馬実況の早口アナウンスを練習しました。

(3)山本コウタローさんは2022.7.4にお亡くなりになられたと7.15に発表されました。山本さんのご冥福をお祈りいたします。

 

カテゴリ 音楽

←前の記事ベンチャーズ「ダイアモンドヘッド」次の記事「月組 グレートギャツビー」→最新ブログ

2022年

7月

06日

夏だ!エレキだ!ベンチャーズ「ダイアモンドヘッド」

壁の飾りをかえました。ベンチャーズ「ダイアモンド・ヘッド」1964年

 暑い!それにしても毎日暑すぎます。こんなときはエレキ・サーフィン音楽に限ります。ベンチャーズのレコードを聴いて涼をとっています(1)。

 1曲目「ダイアモンド・ヘッド」、針を落とした瞬間イントロからモズライト・ギターの低音弦がリヴァーブをピュンピュン鳴らして迫ってきます。そしてアタックの強さと粘り気ある弦音がメロディ開始4小節でぐっと惹きつけます。真空管アンプの自然な歪み音、もう最高にカッコイイですね。モズライトギターのサウンドは太くクリーンな音、そして粘り気が特徴なのです。その秘密の一つとして、ピックアップコイルの巻き数が多く、出力が大きいからだそうです。フェンダーのキラキラ音と対照的です。 

 ベンチャーズは1965年来日の際に人気が爆発し、日本中の中高生”男子”がエレキ(エレキギター)に興味をもつ社会現象まで引き起こしました。翌66年にビートルズが来日し、その時は主に”女子”がビートルズに熱狂したと言います。男子はベンチャーズのギターサウンドに惹かれ、女子は歌とコーラスのあるビートルズ、と男女差があるのが興味深いです(2)。確かにベンチャーズの外見は女子向きじゃないですね、髪型は旧来のリーゼント、体形はマッチョ。サウンドはギターテクニック主体でソリッドギター(3)。ビートルズは長髪オカッパ、スリムなモッズスーツ、初期作品はラブソング率高い、コーラスワーク中心、ギターサウンドはセミアコやアコースティックで和音とアレンジ中心、で女子向き。と60年代はこういうことが起こっていたわけです。

 何十年も経って顧みるとベンチャーズはテクニック、ギターサウンド、が突出していて、加えて日本的音階(ペンタトニック)、既存曲のアレンジが巧妙で一見簡単そう=覚えやすい=わかりやすい、という点が日本で受けた理由だと思います。まあ実は簡単そうなメロディを何コーラスも聴かせ続けるノーキー・エドワーズの確かなテクニックがあってこそなんですけどね(4)。

 このLPは1983年発売のベスト盤です(5)。ほかにも「10番街の殺人」「パイプライン」「Walk don't run 64」など名曲がたくさん入っています。

 皆様、機会がありましたらベンチャーズをお聴きになって暑さを吹き飛ばしてください。またくれぐれも御身体には十分お気をつけください。 (2022.7.6院長)

 

(1)夏になるとベンチャーズが来日し新聞・雑誌の広告で「夏だ!エレキだ!ベンチャーズ!」を見かけたものです。夏の風物詩です、季語に入れてほしいところです。

(2)この時代のベンチャーズコンサートは見事に男の客ばかりだったそうです。

(3)これ、80年代にもよく似た現象があって、この時代男子にはハードロック、ヘビメタのギターが流行していました。昔も今も男子はギターテクニックに憧れるものなのか?2020年代はどうなのでしょうか?

(4)試しに自分で弾くと楽譜通りに弾けても全く味気ない音しか出せないのです。

(5)64年発売のオリジナル盤"Surfin'"とは違うものです。ベンチャーズのアルバムはサーフィンが名前に入ってるのが数種類あって混乱します。 

カテゴリ 音楽

前の記事「花組 巡礼の年~リスト・フェレンツ」次の記事「メロディーの力 岬めぐり」→最新ブログ

2022年

5月

25日

フォークルの「悲しくてやりきれない」

壁の飾りをかえました。

「悲しくてやりきれない」ザ・フォーク・クルセダーズ昭和43年

作詞:サトウハチロー、作曲:加藤和彦、編曲 ありたあきら(小杉仁三)

 2回連続加藤和彦さんです。ザ・フォーク・クルセダーズは「帰ってきたヨッパライ」で大ブレイクし、続く2枚目の予定であった「イムジン河」が発売直前で販売自粛になってしまいました。代わりの曲を今すぐ作ってちょうだい、3時間で、といわれ、ニッポン放送ビル内にある音楽出版会社の社長室に閉じ込められた。どうしようかと困っているうちに、「イムジン河」の記譜を逆さまからたどってみると、新しい曲のモチーフが浮かんできた、そこから30分でメロディーが書けた、という有名な話があります(1)。

 曲ができるとすぐに社長が作詞家のサトウハチロー先生(2)の家に連れて行きます。先生と曲の打ち合わせはなく、世間話だけで帰ってきました。1週間後に先生の詞が届きました。「悲しくてやりきれない」こんな詞でいいんだろうか?と加藤さんは思ったそうです。でも、歌ってみるとすごくはまっていた、すべての語句がピタッと合っていた、何も打ち合わせしていないのに、と語っておられます。

 詞は静かで美しい風景と、その中でやりどころのない心情を描いている、それだけなんですねシンプル。実はサトウ先生は実弟を広島の原爆でなくされています。長崎原爆を題材にした曲「長崎の鐘」の歌詞で「こよなく晴れた青空を悲しとおもう切なさよ」と書いておられます。よく似た情景です。どうしようもないときは美しい景色はむしろ虚しいということでしょうか(3)。対して加藤さんの曲は決して暗いメロディーではなく、メジャーコードの明るさがあるのです。やりどころのない悲しさを表す詞に対して未来への期待を思わせるメロディー、聴いてて「あ、悲しすぎるけど何とかなるんじゃね」という気持ちになる。この組み合わせが普遍のメッセージを伝える曲になったのでしょう。 

 皆様機会がありましたらぜひこの名曲を再びお聴きください。2022/05/25(院長)

 

(1)NHK BSフォーク大全集5(1996年)などインタビュー動画より

(2)「リンゴの唄」を書かれた大作詞家です。戦前には童謡「ちいさい秋みつけた」 「かわいいかくれんぼ」 「うれしいひなまつり」など書いています。当時サトウ先生64歳、加藤和彦さん20歳、面白い若者が来たなと思われたのでしょうか。

(3)心理臨床の先生がこんなことを書かれていました。「心療内科の医療心理士として,うつの患者さんたちが窓の外の何気ない景色を見ても涙がこぼれると話すのを聴いていて,あるとき『悲しくてやりきれない』の歌詞を思い出した.そうか,こういうことだったのか,そんな気持ちが表現されていたのかと」、「<空のかがやき>や<白い雲>を見て,なぜそんなに悲しくなってしまうのか,爽やかな空を見たら少しは気分も晴れそうなものではないか?」

 島田凉子(2016) 巻頭言 『悲しくてやりきれない』と心理臨床 心身医学 Vol.56, 9, 884-5.

 

←前の記事「あの素晴しい愛をもう一度」次の記事 受験数学の話「対称式の性質」→最新ブログ

2022年

5月

11日

あの素晴しい愛をもう一度

壁の飾りをかえました。

「あの素晴しい愛をもう一度」昭和46年作詞:北山修 作曲:加藤和彦

 院長が中学高校のときにはこの曲から既に10年近くたっていました。音楽教科書に採用だし、しかも合唱コンクール課題曲という時点でダサい(1)と思っていましたから、きちんと聴いておりませんでした。大人になって改めて聴くと本当にいい曲なんですね。北山修先生そして加藤和彦さん(2)ごめんなさい。

 しかしよくよく聴くと結構悲しい内容の歌詞です。こんな悲しい歌がなぜ教科書に取り上げられ多くの人が合唱したかったのか、歌詞の意味が分かる大人になってからの不思議です。

 歌詞の一部に「あの時同じ花を見て 美しいと言った二人の 心と心が今はもう通わない あの素晴しい愛をもう一度」とあります。調べてみると北山修さんは歌詞に込めた思いを次のように語っておられます。

 

 ”この詩は恋愛とか青春とかを描いたというよりは、日本が大事にしてきた横のつながりの文化を描いた歌です。連帯感とも言い換えられるかな”

 ”この国の人たちは、同じものを肩を並べて一緒に眺める横の愛を好みます。お花見や紅葉狩り、花火もそう。同じ景色を見て、みんなで『きれいだね』って確かめるのが好きなんですよね” (2021.2.10 中日新聞より)

 

 ”「愛」には、「あの時同じ花を見て 美しいと言った二人の」という歌詞がかかってきます。これは、日本的な「横並びの愛」なんです。”

 ”たとえば日本の絵画では、母子が肩を並べて花を見る構図が多い。小津安二郎の映画『東京物語』も、最後は原節子と笠智衆が横並びで海を眺めるシーンで終わります。”

 ”お互いに見つめ合って、お前のことが好きだよ、と言う愛とはちょっと違う。横に並んだ関係の中で生まれる、日本的な愛を詞にしたのです。” (2020.2.10週刊現代より)

 

 引用ばかりですみません。実に良い言葉だなあと感銘を受けたので、まとめずそのまま転載させていただきました。なお院長はゴリゴリ昭和日本のオヤジですからこの話も歌も本当に心に沁み入ります。

 悲しいストーリーの歌詞に対し、楽曲はフォークの3フィンガーギターが淡々とメロディーを刻みます。こんな悲しい思いなのに何もなかったかのように日常は過ぎていく(3) という風情でますます悲しくなってしまいます。

 皆様機会がありましたらぜひこの名曲を味わってください。2022/05/11(院長)

 

(1)当時関西には「ダサい」という言葉はありませんでした。標準語の「カッコわるい」または京都弁から転用で「モサい」と言ってたような気がします。

(2)北山修さんは当時京都府立医科大の学生、卒後精神科医として活躍、九州大学の教授を務められました。加藤和彦さんはアーティスト、作曲家、プロデューサーとして活躍されましたが2009年に早世されました。

(3)このように感想を書いていたら本曲が映画「パッチギ」のエンディングでまさにその通りの使われ方をしていました!「パッチギ」では加藤和彦さんが音楽監修をされていました。

 

←前の記事「星組めぐり会いは再び/Gran Cantante」次の記事フォークルの「悲しくてやりきれない」→最新ブログ

2022年

4月

06日

津軽三味線ロック「帰ってこいよ」

 壁の飾りをかえました。松村和子「帰ってこいよ」昭和55年作詞:平山忠夫、作曲:一代のぼる、編曲:斉藤恒夫

 当時は、演歌だし三味線だし歌手はアイドルではないし、ほとんど興味ありませんでした。大人になって聴くとすごく魅力あふれる曲なのですね。まず松村和子さんのボーカルです、伸びやかな声、ものすごい歌唱力ですね。概して民謡出身の方の歌は超ウマです。そして楽曲は津軽三味線がロックに乗っかっているところがいい。津軽三味線の音色はエレキギターのソロ演奏に通じるものがありますから合わないわけがありません。またリズムはややファンク調になる所もあったりして。Bメロのベースライン、3コーラス目のハイハットなんか何度も聴きなおしてしまいます。こういうのが総体となり有無を言わせぬ迫力を醸し出すのです。

 さて松村さんは当時17歳、すでに民謡歌手として活動していたところビクターからスカウトされたと言います。実は元々三味線を弾けなかったそうで、デビュー前にこの曲だけ弾けるように猛特訓したそうです。知らなかった! 

 子供や若者視点からすると、1960年代→80年代日本の音楽シーンの流れは、GS→フォーク→第一期アイドル時代→ニューミュージック→80年代アイドル全盛時代、と言えましょう。昭和55年はニューミュージックは下火になりアイドルが一気に開花した年です(1)。しかし当時をよく思い出すと、昭和55年の前後はわりと演歌が根強く流行っていました(2)。その流れで新人演歌歌手をデビューさせた。異色のメロディーと歌声は国民の心を掴み大ヒットにつながったというわけです。本曲は68万枚売れ、昭和55年レコード大賞新人賞受賞、55年紅白歌合戦に出場しています。

 ともあれ「帰ってこいよ」は演歌に分類されますが実質はロック、つくづくカッコイイ名曲だと思います。

 色々不安ですが穏やかな日々と人心が帰ってきてほしいものです。皆様ひさしぶりにぜひこの名曲をお聴きください。2022/04/06(院長)

 

(1)昭和55年デビュー:松田聖子、河合奈保子、岩崎良美、柏原芳恵、三原順子、近藤真彦、田原俊彦、

(2)昭和52年千昌夫「北国の春」53年渥美二郎「夢追い酒」北島三郎「与作」54年小林幸子「おもいで酒」 敏いとうとハッピー&ブルー「よせばいいのに」55年都はるみ「大阪しぐれ」山本譲二「みちのくひとり旅」など

 

←前の記事 雪組「夢介千両みやげ/Sensational」次の記事「星組めぐり会いは再び/Gran Cantante」→最新ブログ

2022年

2月

16日

スイングのその後「妖怪人間ベム」

壁の飾りをかえました。

「妖怪人間ベム」昭和43年、歌:ハニーナイツ、作詞:第一企画㈱、作曲:田中正史

 日本の戦後は服部ブギから始まり進駐軍クラブでダンスミュージックとしてスイングが流行しました。そのうち米国でスイングからビバップ・クールジャズなどモダンジャズに進化し、日本のジャズ界もそれに追随しました。ではその後スイングは消えたのかというとそうではないと思います。この曲は一つの答えと言えるでしょう。

 スイングはビッグバンド演奏という形態をとり広く日本社会に根付いていったのだと考えます。ビッグバンドは純粋なスイングジャズもときに演奏しますが、普段はTV歌番組の生伴奏、劇伴、あるいはナイトクラブの伴奏などとして定着したのです。ラテンや歌謡曲も演奏するが根本のところにスイングジャズが残るという風なのだと思います。

「妖怪人間ベム」はスイングジャズの魅力が詰まった名曲です。管楽器のアンサンブルに勢いがあります。そしてベースがカッコいいんです!ただの4分音符でさえ完全にスイングしてます。この硬質な音は江藤勲さんではないかと院長は想像しています。

 歌は定評のコーラスグループ、ハニーナイツ(1)が担当、綺麗なハーモニーです。スイング全盛時代のジャズコーラスグループ、The Pied Pipers, Andrews SistersやMills Brothersなんかを思い出します。

 子供向けアニメ主題歌として受け入れられていた、ということはスイングという形式の音楽が十分日本社会に定着していたと言えましょう。

 アニメの印象が強烈なのでこの曲はこれまでなかなかポピュラー音楽として聴いてもらえていなかったと思います(2)。日本に根付いたスイング、ぜひもう一度お聴きください。なおテレビ版よりもレコードのフルコーラス版をお勧めします。2022/2/16(院長)

 

(1)ハニーナイツは「ふりむかないで」(エメロンシャンプーのCM)、サスケ、ミラーマン、ウルトラマンAなど数々歌っています。美しいハーモニー。

(2)後年、東京スカパラダイスオーケストラが演奏しています。昔ライブで観たことがあります。スカパラの妖怪人間ベムめちゃくちゃカッコイイです、動画など検索してぜひご覧ください。

 

←前の記事「嵐を呼ぶ男」次の記事 宝塚宙組「Never Say Goodbye」→最新ブログ

2022年

2月

02日

スイングからモダンジャズへ「嵐を呼ぶ男」

 壁の飾りをかえました。石原裕次郎「嵐を呼ぶ男」昭和32年、作詞:井上梅次 作曲:大森盛太郎 編曲:河辺公一

 日活映画「嵐を呼ぶ男」の主題歌です。 昭和32年末に公開され昭和33年の正月映画として大ヒットしました。当時としても名作というより娯楽作品という位置づけであったようです。

 裕次郎と敵役のドラム対決が映画のヤマ場です。敵の策略で手にケガを負った石原が本番中ついにドラムを叩けなくなるが、突然マイクスタンド(1)を掴んで歌い出す、観客から拍手喝采、という無茶すぎる展開です。歌詞もセリフも相当にクサいです。歌唱もお世辞にも上手いと言えません。

 ところがこの曲、伴奏がしっかりしているうえに、間奏がメチャクチャカッコイイんです!1コーラス後はサックス、2コーラス後はピアノの即興演奏、そう間奏だけモダンジャズなんですね。間奏だけ浮いている気すらします。「嵐を呼ぶ男」は、わかりやすい歌謡メロディーと、先端のモダンジャズを混ぜ合わせたサウンドなのです(3)。

 米国では1945年頃から、日本では1950年頃からジャズの先端はスイングからモダンジャズへの流れになりました。スイング=「大編成、楽譜演奏中心、ダンスミュージック、大衆的」、モダンジャズ=「小編成、即興演奏重視、じっくり小会場で聴く、マニア向け芸術的」という対比でしょうか(4)。前回の戦後の服部スイングと本作を聴き比べると、スイングからモダンジャズへの時代の流れを感じ取れます。

 流行歌はメロディー中心の方が受けますから、即興演奏を旨とし和声から外れた音を多用するモダンジャズとは相容れません。しかしジャズドラマーの物語なんだからジャズらしい部分も入れたい、そこで間奏にモダンジャズを入れたのだろうと思います。劇伴の名作モダンジャズはたくさんありますが、歌付き流行歌でこんな風にモダンジャズを取り入れて成功したものは他に思い浮かびません。こんなアンバランスを味わうのも歌謡曲の醍醐味です。

 皆様、裕次郎さんの「嵐を呼ぶ男」改めてお聴きになってぜひ当時のジャズメン達の熱気あふれるサウンドをお楽しみください。2022/02/02(院長)

 

(1)画像から見るにAIWA(アイワ)製リボンマイクロフォンだと思います。リボンマイクは繊細で衝撃に弱いのでこの映画みたいに振り回してはいけません。

(2)レコードには演奏「白木秀雄とオールスターズ」とあります。石原のドラムは白木秀雄、敵役・笈田敏夫のドラムは猪俣猛が叩いています。ほかに松本英彦(テナー・サックス)、河辺公一(トロンボーン)、山崎唯(ピアノ)が参加したと言われています。

(3)マイク・モラスキー「戦後日本のジャズ文化」2017年岩波現代文庫(初出2005年青土社)より"ジャズは基本的には歌手のない器楽演奏として発展してきた。ところが、歌手がいることによって、それほどジャズ好きでない聴衆の間でもジャズの人気が高まる"

(4)こんな解説をつけていますが、難解なので院長はモダンジャズをあまり聴いていません。色々間違ってたらすみませんです。

 

←前の記事「スイングジャズ 銀座カンカン娘」次の記事「スイングのその後 妖怪人間ベム」→最新ブログ

2022年

1月

19日

スイングジャズと歌謡曲 銀座カンカン娘

SPレコードは壁に飾ってもどうも写真映えしないので今回はレコードの写真と参考図書(1)だけです。

高峰秀子「銀座カンカン娘」昭和24年 作詞:佐伯孝夫、作曲:服部良一

 もうね服部先生は日本の流行歌にジャズを取り入れたJポップの先駆者です。戦後の服部ジャズといえば「東京ブギウギ」をはじめとした笠置シヅ子作品が有名です。笠置さんは歌のキャラクターが濃すぎパワフルすぎて(大阪人です)、意外とスイングジャズのド真ん中ではないものが多いと感じます(2)。

 院長は笠置シリーズも好きですが、昭和24年「銀座カンカン娘」の王道スイング・サウンドが好きですね。(王道と言いながら弦楽器も入ってるけど) 平和が訪れて前向きで明るい感じの楽曲です。

ビッグバンドをウマく鳴らせているんです、バックの和音は7th、歌もバックもブルーノート(3)を効かせて、フルスイングしてます。とくに間奏なんか10秒くらいしかないんですけどカッコいいんですよ。

 この曲は新東宝の映画「銀座カンカン娘」の主題歌です。映画を見ますと高峰秀子さん(デコちゃん)が本当に可愛いんですよね。笠置シヅ子さんや灰田勝彦さん(4)、古今亭志ん生さんも共演していて豪華です。そして高峰さんの歌唱ですが歌い上げる、というより語りかけられているように聴こえるんですよね。他の大物歌手によるカバー曲を聴いてもなぜかこうはいかないのです。やはり高峰さんは女優さんの発声だからなんでしょうか?

 さて昭和24-25年頃を境にスイングジャズ系の歌謡曲は徐々に少なくなってきます。昭和27年にサンフランシスコ講和条約が発効し、進駐軍は「占領軍」から「駐留軍」にかわり規模が縮小します。当然進駐軍クラブのジャズ音楽需要も減るわけです。加えてすでに米国でのジャズの潮流がスイングからビバップそしてモダンジャズへと変わってきました。

 皆様、古い曲ですが服部スイングの名曲をぜひもう一度お聴きください。

2022/01/19(院長)

 

(1)菊池清麿「評伝 服部良一: 日本ジャズ&ポップス史」彩流社, 2013。服部良一を通じて日本の大衆音楽の通史。物語としても史料としても読み応えあり。著者の菊池氏は日本歌謡曲の研究家。

(2)笠置さんに力量がありすぎるために結構実験的楽曲を提供しているんじゃないかと想像します。

(3)ブルーノート:3度、5度、7度の音を半音低くする(♭フラット)とブルース的になる。3度はドから見てミの高さの音、5度はソ、7度はシ。

 銀座カンカン娘の歌詞で言うと「赤い(ブ)(ラ)ウス」「時計なが(め)て」「これがぎ(ん)ざの」=以上()内が5度♭、「カー〈ン〉カ〈ン〉娘」=〈〉内が3度♭でこれがブルージー=ジャズっぽい雰囲気を出すのに役立っている。

(4)灰田勝彦さんはこの曲コーラスにも参加されています。「鈴懸の径」も参照。

 

←前の記事「月組今夜ロマンス劇場で/FULL SWING 」次の記事「スイングからモダンジャズへ嵐を呼ぶ男」→最新ブログ

2021年

12月

15日

ザ・ピーナッツ「ジングル・ベル/ホワイトクリスマス」

壁の飾りをかえました

ザ・ピーナッツ「ジングル・ベル/ホワイトクリスマス」編曲:宮川泰

 ザ・ピーナッツは双子のデュオです(1)。双子ということは声がほとんど同じなのでハーモニーがぴったり合うということなんです。ピーナッツはハーモニーはもちろんのことユニゾン(2)も美しいんですよ。ユニゾンからハーモニーに分離するところなんて聴いていて惚れぼれしちゃいますね。

 さてピーナッツは昭和35年から39年にかけて毎年クリスマスレコードを出していました。ただし毎年新録音したわけでなく、前年の曲を流用したり、モノラルやステレオなどバージョンが色々あるようです。この写真の盤はBS-7050(ステレオ)で、昭和39年11月発売です。ただしジングル・ベルは昭和37年録音、ホワイト・クリスマスは昭和38年の録音で、モノラル盤のEB-7238が38年11月に先行発売されていて(ジャケット写真は同じ)、39年にステレオ化で再発売したものです。クリスマスソングはぜひザ・ピーナッツの美しいハーモニーでお楽しみください。

 2021年もブログにおつきあいくださりありがとうございました。皆様よいクリスマスをお過ごしください、そして幸せな新年をお迎えください。2021/12/15(院長)

 

(1)ほくろのある方がエミ、ない方がユミ。歌のパートは主旋律がユミ、ハーモニーをエミが歌うのが通常パターンとのことです。

(2)ユニゾンは2人以上が同じ旋律で歌うこと。声が同じ双子だと、一人の歌手が同メロディを2回重ねて録音する「ダブルトラック」と同じ効果、つまり音の奥行きと複雑さ効果が得られます。

 

 ←前の記事 母校の思い出話「鈴懸の径」次の記事 宝塚月組「今夜ロマンス劇場で/FULL SWING !」→最新ブログ

2021年

12月

01日

母校の思い出話「鈴懸の径」

壁の飾りをかえました。鈴木章治とリズムエース「鈴懸の径」作曲:灰田有紀彦

 読み方は「すずかけのみち」プラタナスの並木道という意味です。

原曲は昭和17年灰田勝彦さんが歌いました(写真4)、後年クラリネット奏者の鈴木章治さんがスイングジャズにアレンジして人気が出て昭和32年にレコード化されました。灰田勝彦さんの母校、立教大学には鈴懸の並木道があります。歌の内容は、母校の並木道を歩いた学生時代を懐かしむというものです。

 院長はこの曲を聴くと母校の阪大(1)を思い出します。医学部の前に長い並木道があって(2)(写真2,3)、プラタナスでなくケヤキだったと思います。秋と冬は紅葉が、夏は緑が、春には桜が咲いて美しい小径でした。

 さて医者の業界話です。ほとんどの医者は大学という場に対して特別な感情を持っています。他学部の大部分の人にとって大学とは一時の通過点であって、卒業して社会人になればそちらがホームグラウンドとなり気持ちの上でも大学とは縁が切れます。でも医学部はとにかく大学とべったりなのです。学部6年、卒後研修で2年から5年、大学院で4年、他に研究生などで数年。そのうえ学内に残って就職なんてしたらトータル何十年も在籍することになります。いつまでたっても大学にいる感覚で、気が付いたら人生の半分くらい大学です。単に授業に出て試験受けて卒業資格をとるだけの所でなく、十何年も世話になって人生を過ごす場です。ある意味実家とか故郷みたいな感覚です。もちろん短期で大学を出て外の病院で修業する先生もいらっしゃいます。

 私は平成2年入学、平成25年に大学を退職しましたから、23年間もダラダラと大学人生でした。退職して診療所を開業したときこれで大学を「卒業」したんだなと思いました。ずっと大学に守られていたから外に出てはじめは不安でしたね。辞めて5年ほど経ってようやく大学の色が抜けてきたと感じるほどでした。そして最近ようやく大学のことを懐かしいなあと思うようになりました。

 昔の阪大はかなり放任主義でしたから、いい加減でデキの悪い私でも卒業させてもらえました。その後も嫌なこと苦しいこともあったけれど、うれしいこともいいこともたくさんありました。良い友達と先輩・後輩にも出会えました。自分を育ててくれお世話になった大阪大学に本当に感謝しています。

「鈴懸の径」郷愁のクラリネットを聴くといつもあの並木道が眼に浮かびます。

2021/12/01(院長)

 

(1)関西人は大阪大学のことを阪大(はんだい)と呼びます。大学1-2年は阪急石橋、3-6年は吹田キャンパス。

(2)東西まっすぐの道で附属病院(写真2)から医学部事務棟、講義棟、図書館まで連なっているのです。

講義をサボって外でタバコ吸ったりおしゃべりしたり、試験対策のプリントをもらったり、ここでいい友達にも出遭えました。あの頃はのんびりしていました。

 

←前の記事 宝塚宙組「プロミセス・プロミセス」次の記事「ザピーナッツ ジングルベル/ホワイトクリスマス」→ |最新ブログ

2021年

10月

27日

大人の歌謡曲「赤坂の夜は更けて」

壁の飾りをかえました。

西田佐知子「赤坂の夜は更けて」(1)昭和40年、作詞・作曲:鈴木道明、編曲: 川上義彦

 前回の園まり「逢いたくて逢いたくて」と同年、同じ日本ポリドールレコードからの曲です。西田佐知子さん26歳ですよ、この時代の歌手は大人っぽいです。前回お話したように昭和45年頃までは歌謡曲は大人のものでしたから。

 曲はスローなスウィングジャズで、クラリネットとピアノがしっとり響いてカッコいいムードですね。そして西田佐知子さんの歌が本当にすばらしいのです。西田さんの歌唱法は当時の歌手のなかでは少数派のノンビブラート(2)、これが本曲ではけだるい感じが出て、聴く者を否応なしに都会の夜の雰囲気に包むのです。とにかく表現力がすごいですね。西田さんの声を盛り立てるポリドール(=日本グラモフォン)の録音も特筆ものです!ほんとにジャズクラブで目の前で歌っている感じ。さすがクラシックの名門グラモフォンの流れをくみ、洋楽輸入も盛んであったポリドールの技術です。なお、この時代昭和40年頃から他社も含めて録音がかなり良くなってきます、なかでもポリドールと東芝が群を抜いていると思います。

 皆様、秋の夜長にぜひ「赤坂の夜は更けて」をお楽しみください。2021/10/27(院長)

 

(1)この曲は島倉千代子、マヒナスターズなど他の歌手との競作でした、西田さんの盤が最も売れたそうです。

昭和40年10月発売で、同年大晦日の第16回NHK紅白に出場しています。

(2)ノンビブラート唱法は他に有名なのがいしだあゆさんです。西田さんは曲によって歌いかたを使い分け表現力がありますね。

(3)ボーカルの音があまりに鮮明、ノイマンのマイクじゃないでしょうか?と勝手に思っています。

 

←前の記事「逢いたくて逢いたくて」次の記事「花組 元禄バロックロック/Fascination」→最新ブログ

2021年

10月

13日

アイドル時代前のかわいい路線「逢いたくて逢いたくて」

壁の飾りをかえました。

園まり「逢いたくて逢いたくて」昭和41年 西野カナとちがいますよ。

作詞:岩谷時子 作曲:宮川泰 編曲:森岡賢一郎。 

 歌った園まりさんは当時の女性歌手としては珍しく「かわいらしさ」が売りでした。昭和40年代前半までは歌謡曲は大人のものでしたから、女性歌手は「大人らしさ」が求められ、「かわいい」はむしろ避けられていました。だからこの時代の女性歌手は今の感覚ですと見た目も歌う曲も実年齢より大人っぽいです。園まりさんのかわいい路線は新鮮だったのでしょう(1)、たいそう人気があったそうです。

 作者は前回のピーナッツに引き続き岩谷・宮川コンビです。もともとザ・ピーナッツが歌った曲(2)を作りかえたリメイクです。岩谷時子さんが園まりにあうよう詞を書き換え、曲の方も森岡賢一郎さんが編曲し印象的なトランぺットをフィーチャーし、大ヒットになりました。ザ・ピーナッツでは当たらず、園まりでヒットした、というのは曲・詞・編曲そして歌手すべての相性が良かったからでしょう。発売日は昭和41年1月6日ですが、発売前昭和40年大晦日のNHK紅白で唄っています、プロモーションのために先行出場したのでしょうか、不思議です。

 メロディーはゆったりしたノスタルジックなメロディ(3)、園まりの囁くような声がよく合うのです(4)。さてレコードで聴くと目の前でうたっているように聞こえるんですよ。これは日本ポリドールの録音技術によるところ大と思います。ポリドールはドイツ・グラモフォン社と関係が深かったのでドイツ製の高性能マイクロフォンなど録音機器が充実していたそうです(5)。この明瞭な音声はノイマンあるいはテレフンケンのコンデンサーマイクで録音したに違いないと院長は勝手に妄想しています。皆様ぜひ園まりさんの歌を再度お聴きになってください。2021/10/13(院長)

 

(1)アイドルは未成年のかわいい芸能人を若い世代をターゲットとして売り込むビジネスモデルのことで、昭和45年頃から生まれた概念です。

(2)「手編みの靴下」 昭和37年作詞:竹内伸光・岩谷時子 作曲編曲:宮川泰 

(3)「港が見える丘」昭和22年 平野愛子 を参考に作曲したと言われます

(4)独自の甘く囁くような艶っぽい「園まり節」は宮川泰が1小節ごとに声の出し入れや言葉の徹底指導をしたという。馬飼野元宏 他「昭和歌謡ポップスアルバムガイド」シンコーミュージック 2015, p45 

(5)特定ラジオマイク運用調整機構レポート No70 H15.1.1「私とマイクロフォン」 第5回 大野 進

 

←前の記事 星組「柳生忍法帖/モア・ダンディズム」次の記事→「赤坂の夜は更けて」最新ブログ

2021年

8月

25日

昭和53年の夏「勝手にシンドバッド」

壁の飾りをかえました。

「勝手にシンドバッド」昭和53年サザンオールスターズ、作詞作曲:桑田佳祐

 言わずと知れたサザンのデビュー曲です。音楽的なことは語りつくされているので、個人的想い出話をさせてください。

 夏が終わりに近づくと院長はこの曲を思い出します。歌詞が夏の日の思い出だからでしょうか。でも発売日は昭和53年6月25日なんです。

 この曲が流行り出した瞬間を鮮明に覚えています。当時私は中学受験をひかえた小学6年生でした。週5回だか6回か塾に通って、帰りの電車で携帯ラジオにイヤホンさして「MBSヤングタウン」(1)を聴くのが楽しみでした(2)。ラジオCMで「勝手に~」が流れてくるのです15秒間、それもかなり頻繁に。刷り込みみたいになりました。もちろん深夜放送でもよく流れていましたよ(3)。フルコーラス聞けると得した気分になったものです。

 とにかくものすごい衝撃でしたよ。何じゃこりゃー!的な。もちろん学校でも大騒ぎの人気でした。あの早口の歌詞は何て言ってるんだ?そしてマネしたい!人気者になれるから。やっと買ってもらえたラジカセでラジオを録音して何度も聴きました。でもやっぱり歌詞がわからないんですよね。レコードを買ってもらった子に教えてもらったり、雑誌「明星」なんかに歌詞が載ってるのを教えてもらったり、という雰囲気でした(4)。ラテンとロックと歌謡曲的要素を混ぜたスピーディなサウンドは、音楽とかロックとか聞いたこともない小学生の心をガッチリとらえました。

 いま調べてみますと発売直後はそれほどではなかったのが、じわじわ話題になり、7月31日(月)に、フジテレビ「夜のヒットスタジオ」出演、8月31日(木)にTBS「ザ・ベストテン」の「今週のスポットライト」コーナーに出演したあたりから大ブレイクしたようです。おそらくラジオコマーシャルも7-8月に打ってたのでしょう。

 音楽面ではロックの人が歌謡曲との垣根を取り払った金字塔的な一曲と言われます、本当にそのとおりと思います。今回調べていてなるほど!と思ったことですが、桑田さんは歌のメロディーは歌謡曲っぽく作曲したそうです。ザ・ピーナッツみたいな感じにしたかったらしいです。確かにゆっくり歌えばちょうどピーナッツの「ウナセラディ東京」になりますね。さすが歌謡曲も大好きな桑田さんです。

 そういうわけで実体験でも夏の終わりの歌なんですね。とにかく昭和53年夏の音楽シーンはアツかった。  2021/08/25(院長)

 

(1)MBS毎日放送の若者向け番組、22-25時放送

(2)当時の中学受験は今ほど厳しくなくのんびりした雰囲気だったように思います。私の志望コースが最難関でなかったからかもしれませんが。

(3)毎日放送「ヤングタウン」、朝日放送「ヤングリクエスト」、ニッポン放送「オールナイトニッポン」、ラジオ大阪「サタデーバチョン」 なんかを聴きましたね

(4)当時コピーは高額だったのでもちろん手書き写しです

 

 ←前の記事「渚のシンドバッド」次の記事「花組 哀しみのコルドバ」→最新ブログ

2021年

6月

16日

ブギウギからスイングへ、グレン・ミラーIn The Mood

壁の飾りをかえました。「グレンミラー物語」1954年主演ジェイムズ・ステュアート

オリジナルのグレンミラーオーケストラ”In The Mood”は1941年です

 ブギウギといいますと元はアメリカ中南部にあったブギウギピアノだけのことを指しました。このリズムと進行を1930-40年代にスイングバンドが取り入れBallroom(ダンスホール)で大流行しました。ブギウギピアノはスイング・ジャズに変化して全米中に広まったのです。デューク・エリントン、カウント・ベイシー、トミー・ドーシー、アーティー・ショウ、ベニー・グッドマン・・・そんな中、グレン・ミラー・オーケストラも大人気だったわけです。

 元々がダンスミュージックなわけですからとにかくノリがいい。陽気なスイングリズムに華やかな楽器のコール&レスポンス、そう何だか景気がいい感じがするのです。ペンシルヴェニア6-5000、真珠の首飾り 、茶色の小瓶、名曲揃い。院長の大好きな”In The Mood”なんかすごいビートでカッコイイんですよね。

 さて映画の内容は古き良き時代のアメリカ映画です。グレン・ミラーさんは戦争中に軍隊に志願し、各地慰問の道中飛行機事故で1944年12月15日に亡くなっています。ですから映画のサントラは別の楽団による演奏です。心温まる良い話ですので皆様ぜひ一度ご覧になってください。そして機会があればオリジナルのグレンミラーオーケストラの録音もお聴きになってください。 (院長)

 

個人的想い出で恐縮ですが、大学再受験の入試直前、なぜか毎日延々スイングジャズを聴いていました。ノリの良さで自分を盛り上げようとしたのでしょうか。CDを入れ替えるのが面倒で繰り返し聴きすぎて、聞き取れるパートは覚えてしまうんですよね。ソロパートの裏の「スーパッパッ」もトロンボーンもバリトンサックスも頭の中で鮮明に音像を結んじゃう。院長にとってグレンミラーは受験勉強を思い出す懐かしのメロディーです。なお当院があるイオン川西店ではお昼の買い物タイムにBGMで繰り返し”In The Mood”が流れます。購買意欲を高めるためでしょうか。

 

←前の記事月組「桜嵐記/Dream Chaser」次の記事「宙組 シャーロックホームズ/Delicieux」→最新ブログ

2021年

5月

19日

5.31は世界禁煙デーです/ スモーキンブギ

壁の飾りををかえました。ダウンタウンブギウギバンド「スモーキンブギ」昭和49年

作詞:新井武士、作曲:宇崎竜童

 5月31日は世界禁煙デーです。タバコはやめましょう。いま思い出すと不思議なんですが昔はみんなタバコを吸ってましたね。学校の先生も職員室で吸ってました、机に灰皿置いてね。病院では内科も外科も、部長も研修医もみんな吸ってましたね。院長もタバコ大好きでしたが随分前にすっかりやめてしまいました。

 さて「スモーキンブギ」は小学生の時に流行りました。みんな学校でマネしました、ホウキをギターみたいに持ったりして。コミカルな歌詞を間違えずに歌うこととコーラスの合いの手を入れるのを楽しんでいたと覚えています。

 タンタタンタというブギのリズムに3コードのブルース進行、ロックの基本形です。ものすごくノリがいいのですよ。「スーッパッパッ」というコーラスが軽快なハーモニーで、これはビッグバンドのスイングジャズですよね。そしてスライドギターがブルース色を濃厚にします(1)。この時期の彼らはブルース寄りの曲を多く出していました。

 歌詞もいいんですよ。作者の新井さんはゴロ合わせしただけ(2)と言いますが、今改めて聴くとピタリと韻を踏んでいます。洋楽の歌詞の作り方と同じですね。これがリズムとノリを生み出すのです。

 ダウンタウンブギウギバンドは当時の少年たちに色々影響を与えたはずです。ワルっぽい見た目や仕草に憧れた者、ロック音楽に初めて触れた者、歌詞をリズムにのせる楽しみを知った者、ハーモニーに気付いた者・・・院長はこの時にブギウギのリズムを身体の中に摺り込まれたように思います。成人してオヤジになっても、ブギウギのリズムを聴くと自然に身体が貧乏ゆすりを始めてしまうんですね。

 皆様ぜひこの名曲をお聴きになってくだい。そして繰り返しになりますがタバコは健康によくないので絶対にやめましょう。  (院長)

 

(1)元歌は Elmore James "Shake Your Moneymaker" 1961と言われます。スモーキンブギは他アーチストによるカバーも多数あり。憂歌団のスモーキンブギはめちゃくちゃカッコイイです必聴ですよ。

(2)歌詞について、ベーシストで作詞者である新井武士さんは「リズムに乗せてゴロ合わせをしただけ」と述べています。 wikipediaより(原典は新聞インタビュー) しかし完璧に韻を踏んでいます。

 

←前の記事「みちのくひとりカリフォルニア」次の記事「宝塚月組 桜嵐記/ Dream Chaser」→最新ブログ

 

2021年

4月

21日

輝きの12弦(3) ホテル・カリフォルニアの迷宮

壁の飾りををかえました。イーグルス" Hotel California"1976年

 12弦の名曲は数多くありますが、院長はホテルカリフォルニアが好きです、ベタですけど。時々頭の中をホテルカリフォルニアがぐるぐる回るのです。

 12弦ギターの切ないアルべジオのイントロから始まるんですよ。そして反復進行(1)しながら6弦ギターが重なり、歌もベースラインも重なって、次第に音が厚くなる。メロディラインが哀愁たっぷりで日本人の心に響きます。歌詞はよく読んでみるとミステリアスな話です。歌に出てくる人はたまたま立ち寄ったホテルの不思議な世界にに入り込み抜け出せなくなります。元の世界に帰れるのか?と怖くなってしまいますね。

 エンディングのギターソロが名演奏ですよ。2本のギターが泣きまくっています。ギターを触ったことのある人はみんなコレを弾いてみたかったはずです。ソロ最後の三連符(2)なんか本当カッコイイですね。永久にあっちの世界から抜け出せなさそうな雰囲気が立ち込めてくるのです。

 さてこの迷宮、コード進行にも秘訣があるのです。この曲どこまでも終止しないのです。サビのBメロは全く終わった感じがせず、Aに引き継ぎます。歌の終わり(A'メロ)なんか尻切れであとはすべてギターソロに譲っています。受けるギターソロも結局最後は終止せず、余韻を残してどこまでも続きそうなのです。だから再び聞きたくなる。頭の中をぐるぐる回るのです(3)。皆様、一度そういう耳で名曲ホテルカリフォルニアの迷宮をお楽しみください。 (院長)

 

(1)同じメロディーを反復しながらコードを移動してゆく反復進行で、ベース音が順に順々に下がってゆく。音楽理論でカノン進行と言うそうです。確かにこういう曲探せばたくさん出てきます。間違ってたらすみません。

(2)タララ タララ タララ タララ タララ休 タララ タララ タラギューン です

(3)楽器パートが多いので頭の中で一つ一つ再現していたら飽きないです。結局永遠にぐるぐる回ります。

 

 ←前の記事「花組アウグストゥス/Cool Beast!!」次の記事「みちのくひとりカリフォルニア」→最新ブログ

2021年

3月

24日

煌めきの12弦ギター(2)A Hard Day's Night

壁の飾りををかえました。ザ・ビートルズ"A Hard Day's Night"1964年

 12弦の魅力を世界中に広めたのは間違いなく彼らのこのアルバムでしょう。"A Hard Day's Night"は1曲目です(1)。12弦の特徴がイントロの和音、間奏、そしてエンディングのアルペジオに表れています。

 イントロの「ジャーン」は、不思議な響きを持つ和音です。12弦ギター(ジョージ)と6弦(ジョン)、ベース(ポール)、ピアノ(ジョージ・マーティン)で構成されることはわかっていましたが、どの音が入っているのか長年の謎でした。

院長が中高生だった80年代はGsus4/DまたはG7sus4という説が一般的で、みんなが使うシンコーミュージックのバンドスコアは12弦Gsus4、6弦D、ベースD(つまりGsus4/D)でした。ビートルズ解説書籍などでは12弦D7sus4+ベースGなど諸説ありました。中には数学研究者がサンプリングした音源をフーリエ変換を用いて解析したという論文まであります(2)。なぜいつまでも解明されなかったのかというと、プロアマ問わずよってたかって誰が演奏しても完全に同じ響きが再現されなかったからなんですね。

 後年ジョージ・ハリスンがFadd9だったと明らかにした(3)ことで12弦ギターだけ解明されました。でもその他パートが謎でした。当時のプロデューサー、ジョージ・マーチン氏の証言やテクノロジー進歩で解析が進んだことなどをあわせて、最近ではようやく、12弦Fadd9(6弦全弾きか1-4弦だけ弾いてるのかはまだナゾ)+6弦Fadd9+ベースD(3弦5フレット)+ピアノ D2-G2-D3-G3-C4(ペダルオン)、が最有力と言われています。 ピアノとその残響音ハーモニクスも混ざって複雑な響きの和音になったのだろうという結論で落ち着いているようです。

 イントロの和音だけで熱く語りすぎてすみませんです。この曲、間奏もカッコいいし、エンディングのアルペジオもキラキラしています。ともに12弦の魅力あふれる響きなんです。ぜひもう一度12弦ギターのところに集中してお聴きください!

 ビートルズは決して演奏や歌の上手さを味わう音楽ではないと思うのです。彼らはアイデアとテクノロジーを駆使した音作りの天才なのです。そのサウンドが世界中の人達を魅了してきたのです。院長はビートルズ大好きなのでまた語らせてください。

 

(1)関西在住だった方はTV番組「突然ガバチョ」の曲と言えば洋楽ファンでなくとも思い出していただけるでしょう。

(2)こういう音の理論やテクノロジーの話は理系男子にはツボなわけです。Brown先生のフーリエ変換解析はこちら、

JI Brown 著, Dalhousie University.2008, Mathematics, Physics andA Hard Day’s Night

その他2017年のABCニュースより

A Hard Day's Night: Solving a Beatles mystery with mathematics. First posted 5 November 2017

久しぶりに英語を読んで頭が疲れました。

(3)2001年2月15日にジョージがライブ・チャットで証言しているそうです。

The chord was identified as an Fadd9 by George Harrison during an online chat on 15 February 2001:

Q: Mr Harrison, what is the opening chord you used for A Hard Day’s Night?

A: It is F with a G on top (on the 12-string), but you’ll have to ask Paul about the bass note to get the proper story.

←前の記事「燦めく12弦ギター(1)恋の奴隷」次の記事「宝塚花組「アウグストゥス/ Cool Beast !!」」→最新ブログ

2021年

3月

10日

燦めく12弦ギター(1)「恋の奴隷」

壁の飾りをかえました。

奥村チヨ「恋の奴隷」昭和44年、作詞:なかにし礼、作曲:鈴木邦彦

奥村さん17枚目のシングルです

「恋の奴隷」「恋狂い」「恋泥棒」とお色気路線の「恋3部作」といわれます。奥村さんはコレ歌うのが随分嫌だったそうですが、聴いてみると歌唱がいい!艶がありますね。そしてそれにも増してこの曲の隠れた聴きどころは12弦ギターだと思うのです。これが大変味があるのです。

江藤勲さんの硬質ベースがネチッコイのに対して12弦ギターがキラキラなんですよ。澄んだ音色で爽やかなのです。ベースと12弦が妖艶と清純、二つの面を表しているようにも聞こえてきます。

以前ご紹介したハクション大魔王「アクビちゃん」もですがこの時期の歌謡曲界って結構12弦を使うのが流行ってたんですよね。

皆様ぜひとも歌謡曲の12弦ギターの音色を見つけてください。

 

 ←前の記事「星組ロミオとジュリエット」次の記事「煌めきの12弦(2)A Hard Day's Night」→最新ブログ

2021年

2月

03日

アニソン侮るべからず(2)ハクション大魔王

壁の飾りをかえました。

「ハクション大魔王」昭和44年、歌:嶋崎由利 作詞:、作曲:市川昭介

「アクビ娘の歌」歌:堀江美都子、作詞:丘、作曲:和田香苗

 前回に引き続きアニソンです。この曲は音楽好きの間で有名です。

まずイントロ、ギターからしてファズ(1)を使ってジミヘンみたいな音を出しています。そしてベースが物凄いんです。装飾音の多さと上へ下へ動くこのベースラインは、寺川正興さんを思わせます。でも細かいところがちょっと違うようにも聞こえます。いまだ誰の演奏か明らかになっていません。ただ、ベーシストたち憧れの一曲であるらしく、動画で「ハクション大魔王」のベースを演奏するアマチュア多数です。譜面を掲載してくれる人もいます。そりゃこのベースは弾きたくなりますね。このように演奏は完全にロックです。しかし歌のメロディーは演歌なんですね。作曲が市川先生ですから。歌唱は嶋崎由里さん、本当に上手です(2)。

 B面の「アクビ娘」はドラム、ギター、ベースのコンボ構成、タイトなドラムにキラキラの12弦ギターが響いて、ドゥーワップコーラスもあって、まるでリバプールサウンドなんです。歌うは天才少女歌手の堀江美都子さん(3)です。確かTVテロップに12歳と出ていました。12歳でこの歌ですよ、スゴイですね。

 60-70年代、アニソンはスタジオミュージシャン達の実験場だったのではないかと推測するのです。売上枚数やレコード会社の戦略など制約がある歌謡曲よりも、アニメの方が自由な表現ができる場だったのでしょう。毎日TVから流れる上質のサウンドに囲まれ当時のこども達は恵まれていたというべきでしょう。アニソン侮るべからず。(院長)

 

(1)ファズとはギターの音を歪ませる装置です。ディストーション等と同様。ローリングストーンズ「サティスファクション」のイントロを思い出してください。ジミ・ヘンドリックスもファズを多用しました。なお、2020年のハクション大魔王OP曲は奥田民生作曲「サティスハクション」!、もちろんファズギターです。

(2)「みなしごハッチ」と同じ歌手です。「ハクション」での発声法は民謡の影響を感じます。昔、お昼にのど自慢番組で小学生なのにメチャクチャ民謡が上手い子なんかよく出ていましたね。その系統出身でしょうか?

(3)アニソンの女王と呼ばれています。作品は数え切れず。

 ←前の記事「アニソン(1)みなしごハッチ」次の記事「星組ロミオとジュリエット」→最新ブログ

2021年

1月

20日

アニソン侮るべからず(1) みなしごハッチ

皆様いかがお過ごしでしょうか。壁の飾りをかえました。

「みなしごハッチ」昭和45年歌:嶋崎由里、作詞:丘灯至夫、作曲:越部信義

 最近院長はアニソンを車の中でガンガンに聴き込んでいます。

 アニソンの放送時間は89秒(1)と言われます。本作ではさらに短く70秒。アニソンは出だしが勝負、はじめの15秒で引きつけなければ視聴者は離れてしまいます。イントロは短く印象的に、歌はわかりやすいメロディーと歌詞でなければならないのです。

 イントロから始まるビートをお聴きください。この跳ねるような硬いベース、昭和歌謡を代表する名ベーシスト、江藤勲さん(2)でしょう。さらに管と弦セクションが入り乱れるという豪華な作り。ここだけで耳が釘づけになりますよね。嶋崎由里さんの歌がいい味出しています。嶋崎さんはこの歌を録音したときちょうど変声期にあたり随分苦労されたそうですが、このOKテイクは低から高音までよく伸びています。歌に重ねてくるストリングスがまたいいですね、伴奏だけ別にメロディーを覚えてしまいます。

 歌詞はこの時代に一般的な、アニメ作品の説明と主人公名を盛り込んだもの。校歌と似たようなパターンです。みなしごハッチの歌詞には色々勇気づけられます。簡単で短いことばで世界を広げる当時の作詞技術も味わってください。

 キャッチーでビートがあって、豪華で、今でも聞きごたえのある良いサウンドだなと思います。現代の再生装置で音量を上げてみると、あの頃には気付かなかった音の職人たちの技が聞こえてくるのです。アニソン侮るべからず。 (院長)

 

(1)与えられる時間は90秒だが前後につなぎ目の無音時間が0.5秒ずつ設定されるので89秒。

(2)江藤勲さん:当ブログでもご紹介しておりますブルーライトヨコハマ長崎は今日も雨だった伊勢佐木町ブルース雨の慕情スワンの涙ドリフのズンドコ節グッドナイト・ベイビー

 

 ←前の記事「宝塚雪組フォルティシッシモ」次の記事「アニソン(2)ハクション大魔王」→最新ブログ

2020年

12月

09日

ジングル・ベル

壁の飾りをかえました。

江利チエミ「ジングル・ベル」昭和27年(写真EPは昭和37年盤)

作詞作曲:James Lord Pierpont、日本語訳詩:音羽たかし

 江利チエミさんは少女時代から進駐軍クラブで実力を磨いた実力派歌手、そしてジャズのイメージです。発音が英語らしいですね、耳から英語を覚えた人なのではないかと思います。原信夫とシャープス・アンド・フラッツの演奏もスイングしています。

 顧みれば昭和50年代前半頃まではクリスマスは子供たちのものでしたね。バブル以降、高額なプレゼントや飲食を行う大人のイベントに変遷したような気がします。まあ、今なお子供たちのクリスマスも存続しているわけですが。

 毎年クリスマス・ソングを聴くと、子供たちのクリスマスを思い出し、この1年自分も家族も何とか無事に過ごせてよかったなとしみじみ思います。

 まあ今年は感染症などつらいことが色々ありましたね。来年は楽しい1年になりますように。皆様、よい年末年始をお過ごしください。2020/12/09 (院長)

 

←前の記事「筒美先生の世界(5)恋の弱味」次の記事「宝塚雪組フォルティシッシモ」→最新ブログ記事→ 

 

2020年

11月

25日

筒美先生の世界(5) 恋の弱味

郷ひろみ「恋の弱味」昭和51年 作詞:橋本淳、作曲:筒美京平

 郷さん作品ではそれほど有名ではないけれどめちゃくちゃカッコイイ曲です。

 筒美&橋本の黄金コンビ、都会的センスあふれる楽曲に大人な雰囲気満載の歌詞世界です!郷さんはこの手前までいわゆる少年アイドル的な歌が続きましたから、ちょっと大人っぽい郷さんを演出した曲ですね。

 タイトなドラムがビートを刻み、ベースと金管が絡みグルーヴを引っ張る。そしてそして、筒美先生のスゴイところが歌手の声を生かす曲作りをされる点なのです。スタジオで歌手の声を聴いて手直しする等の話が残っていますね。この曲も郷さんの声質と歌い方の魅力を最大限引き出しておられるのですよ。サビ部分「Get down 白いビルの~」なんか聴いててシビれますね~!本当に名曲だと思います。

 さて、この「筒美先生の世界」シリーズですが、院長が「筒美京平」の名を知ったのは小学生時代、近田春夫のオールナイトニッポン2部でした(1)。近田さんはミュージシャンかつ歌謡曲評論家、とにかく2時間歌謡曲をかけまくり、曲に重ねてひたすら早口で喋りまくる、という放送でした。自分が筒美先生と郷ひろみさんに心酔していることを延々しゃべっていましたね。近田さんは歌謡曲カバーアルバム(2)までリリース、その中に「恋の弱味」がありました。番組コマーシャル時間に「恋の弱味」が何度も流れて(3)、カッコイイ曲だなあと感じたことをよく覚えています。院長がオリジナルの郷さんバージョンを聴いたのは成人してからです。

皆様ぜひ郷さんの「恋の弱味」を、そして筒美先生の世界をお楽しみください。2020/11/25(院長)

 

(1)水曜第2部(火曜深夜AM3-5時)、昭和52年10月 - 54年3月

(2)近田春夫&ハルヲフォン LP「電撃的東京」昭和53年もお聴きください。

(3)オールナイトの深夜帯はスポンサーがつかないCMタイムはBGMだけ流れていたのですよ。

 

 ←前の記事「宝塚宙組「アナスタシア」」次の記事「ジングル・ベル」→最新ブログ

 

2020年

10月

28日

筒美先生の世界(4) 太陽は泣いている

いしだあゆみ「太陽は泣いている」昭和43年6月 作曲:筒美京平、作詞:橋本淳

 ビクターでヒットに恵まれなかったいしだあゆみさんが昭和43年コロムビア移籍した第1弾です。昭和41年デビューの筒美先生はこのときまだ新進作曲家、新しいサウンド造りに意気込んでおられたことでしょう。実際いしださんのビクター時代と全く違う音なのです。

 楽曲は当時流行していたGSのサウンドを取り入れたもので(1)、ドラムやベース、リズムギターは当時のGSよりもGSらしいリズムを編み出していますね。GSやロックバンドというのはドラム、ギター、ベース、キーボードの簡素な編成が本来の姿と思いますが、筒美サウンドは豪華に盛り付けるのが特徴です。チェンバロ、弦楽器、管楽器、バックのオケが光っています。おまけに当時流行りの12弦ギターも入ってます。そして筒美先生といえば耳に残るキャッチーなメロディ!

 歌手のいしだあゆみさんは、いわゆる美声ではなく、ちょっとハスキーで、ノン・ビブラートの歌い方なんです。GSというのは演歌や歌曲みたいにネチッこく歌わず、こういうあっさりした歌唱の方がよくて、いしださんの歌がとても合っていると思います。この半年後43年12月、いしだ・筒美・橋本で大ヒット「ブルーライト・ヨコハマ」が生まれるのです。

 B面の「夢でいいから」もしっとりとしたA&M風のサウンドでこれも後に多くの歌手にカバーされた佳曲です。

 いしだあゆみの魅力を引き出した筒美先生の名曲、ぜひお聴きください。 (院長)

 

 筒美京平先生が先日2020年10月7日になくなられたそうです。筒美メロディは心の支えでしたからとても残念です。筒美先生のご冥福をこころよりお祈りします。しばらく院内に筒美先生の作品集を飾っております。

 

(1)グループではなく歌手一人で歌うので、こういう形態のことを歌謡曲ファンは「一人GS」と分類します。

 

←前の記事「宝塚月組 ピガール狂騒曲」次の記事「宝塚宙組 アナスタシア」→最新ブログ

2020年

9月

30日

夢見るシャンソン人形

壁の飾りをかえました。

フランス・ギャルFrance GALL「夢見るシャンソン人形」原題"Poupée de cire, poupée de son" 1965年 作曲作詞 セルジュ・ゲンズブール

 前回登場の本城和治ディレクターはフィリップスでGSをプロデュースする前は、もともとジャズや洋楽輸入部門を担当していました。その時代に日本に紹介した曲のひとつがコレです。日本でも多くの歌手がカバーしてめちゃくちゃ流行りました(1)。調べてみると弘田三枝子、中尾ミエ、越路吹雪、伊東ゆかり、浅田美代子、麻丘めぐみ、ザ・ピーナッツ、石野真子、ジューシィフルーツなど30名(組)以上がカバーしています。50年たって現代でもまだカバーされています。それだけいい曲なんですね。院長も子供の頃に日本語版を耳にしたのを覚えています(2)。

 出だしの有名なメロディは、ベートーベン ピアノソナタ1番 第4楽章を使っていると言われています。一度聞くと忘れられないキャッチーなメロディーに編曲と演奏も凝っています。その後のアイドルポップの手本になっていると思います。なお、日本のアニメ「山ねずみロッキーチャック」1973年の主題歌は「~シャンソン人形」を使っていますな。限りなく同じです。

フレンチポップの名曲、ぜひ一度オリジナルをお聴きください。(院長)

 

(1)日本語の歌詞は岩谷時子さんです。

(2)南沙織さんの歌ならばラジオで、あるいは小林麻美さんはTVコマーシャルで歌ったのを聞いたのだと思います。なお1965年(昭和40)NHK紅白で中尾ミエさんが歌っています。

 

←前の記事「日本ロックの萌芽 カーナビーツ」次の記事「追悼 筒美京平先生」→最新ブログ

2020年

9月

16日

日本のロックの萌芽(2) カーナビーツ

 壁の飾りをかえました。またまた日本のロックが芽を出したころのGSです。

カーナビーツ「恋をしようよジェニー」昭和42年、作詞:万里村ゆき子、作曲:藤まさはる。カーナビーツは洋楽の日本語カバー物が有名で、デビューシングル「好きさ好きさ好きさ」は英国ゾンビーズの”I love you”のカバーでヒットしました。

 本作品は日本オリジナルです。作曲の「藤まさはる」とは、実はフィリップスレコードの洋楽やGSを担当の本城和治ディレクターなんです(1)。本城さんは洋楽っぽいGSを出したいと考えていたのですが、職業作曲家に書いてもらうと歌謡曲風になってしまう、そこで自分自身でイメージ通りの洋楽を作ったわけです(2)。でき上ったサウンドは当時英国で流行したマージービートなんです。ドラムとギターとベースのシンプルな編成でストリングスやブラス無し、コーラスの差し込み方なんかそのまま60年代ブリティッシュ・ビート。こんなの1967年に日本人が作ってたのかと感心します(しみじみ)。後年、欧米でJapanese garage rockと高評価されたのも頷けます(3)。

 歌詞はとりとめもないラブソングで、今聴くと何じゃこりゃ?ですが、この時期のGSに多かった少女漫画的(当時のですよ)な、王子様、メルヘン的イメージが現実離れしている点がむしろ味わい深いです。

 ジャケット写真は斜めアングルの不自然な笑顔そして洋風チェアと、背中がかゆくなるほどアイドルイメージです。商業的に売るためにはこういうのも必要なわけです。

 サウンドはブリティッシュ・ビート洋楽、歌詞と見た目はアホらしいくらいアイドル風、というアンバランスを楽しむのがGSの魅力のひとつです。

 日本のロックはこういうところから始まり、やがて完全自作で独自のポピュラー音楽スタイルを生み出すようになったのです。皆様日本のロック黎明期の名作、ぜひ一度お聴きください。 (院長)

 

(1)本城和治さんはフィリップスでもともとジャズや洋楽輸入部門を担当していました。洋楽にかんする豊富な経験を買われ、GSのプロデュースに携わります。GS王国フィリップスと言われるくらい数々のグループを送り出した功労者です。スパイダース、テンプターズ、ジャガーズ、パープル・シャドウズ、リンド&リンダースetc。

(2)日本のR&B名作「グッドナイトベイビー」もポリドールレコード社員でR&B好きの松村孝司さんがペンネームで書いた作品でしたね。そういえばあの筒美京平先生も元はポリドールのディレクターで入社し、社員の時から作曲されていたんですよね。

(3)意外にもGSマニアが海外に多くいるらしいです。マイナーGSの音源CDは輸入盤でしか入手できないことが度々です。曲名はすべてローマ字表記で新鮮です。例”KOI O SHIYOUYO JENNY”など。

 

←前の記事「日本のロックの萌芽(1)ゴールデンカップス」次の記事「夢見るシャンソン人形」→最新ブログ

2020年

9月

02日

日本のロックの萌芽(1) ゴールデンカップス

壁の飾りをかえました。

ゴールデン・カップス「銀色のグラス」昭和42年 作詞:橋本淳、作曲・編曲:鈴木邦彦

 前回のゴールデンハーフは全員がハーフという設定のアイドルグループでした。この時代はハーフとか外国人の価値が高かったので、そういう設定が受けたのです。GSでゴールデンカップス(略称カップス)もメンバー全員ハーフという設定でした(1)。

 カップスは元々横浜で外国人クラブなどを拠点に演奏し、ロックやR&Bを志向していました。生まれたときからJ-POPがあった世代には想像もできないでしょうが、当時ロックの人(演者もファンも)の間では日本語はロックに合わない、日本語ではロックを表現できないと本気で信じられていました。それくらい洋楽信奉が厚く、彼らもそうであったようです。

 さてこの曲はデビューから2枚目のシングルです。特筆すべきはルイズルイス加部(写真向かって右から2人目)のベースです。ものすごい迫力のベースラインです。間奏でギターとの壮絶バトルは聴きどころです。当時のGSは作詞・作曲の先生が書き、一般受けするために歌謡曲風に作られていました(2)。彼らは、レコード会社から言われた歌謡曲を演奏することが相当イヤだったようで、その不満を演奏にぶつけているように聞こえます(3)。洋楽が好きで洋楽に憧れたカップスは、職業作曲家が作った歌謡曲を、見事な日本語のロックに昇華させました。

 この曲は昭和42年11月発売です。1967年に既にこのサウンドを出すバンドがいたことが大変価値があると思います。日本のロックはGSから始まりました、それも商業アイドル系GSでないところから芽が出ていたのだと言えましょう。

 日本のロックの萌芽であるこの曲、必聴です。ぜひイヤホンでなくスピーカーでお聴きいただきたいと思います。 (院長)

 

(1)本当のハーフはルイズルイス加部だけで、日系米国人のケネス伊東と中国人のエディ藩を除いて残りは純日本人だったそうです。

(2)カップスの代表曲といえば「長い髪の少女」ということになっていますが、これは彼らの本領である洋楽ロックとはかけ離れた歌謡曲スタイルであり、本人達はだいぶ嫌だったそうです。院長も「長い髪~」はイケてない曲だと思います。商業音楽なので売れるためには仕方ないんですけどね。

(2)ルイズルイス加部 著「気ままに生きる」より、「よくこの曲のベースラインがすごいと言われたけど、なんでそうなったのかと言うと頭のコード進行が歌謡曲っぽくて、ちょっとイラついたんだと思う。だからガシャーンって遊んで弾いちゃったのかも。」と本人が述懐されています。

(追記)元メンバーでドラムス担当だったマモル・マヌーさん(写真最も左)が2020.9.1に心筋梗塞でお亡くなりになったことが9.8に報じられました。日本のロックを作った音楽家のご冥福をお祈り申し上げます。

 

←前の記事「ゴールデンハーフ太陽の彼方」次の記事「日本のロックの萌芽(2)カーナビーツ」→最新ブログ

2020年

8月

19日

ゴールデン・ハーフの太陽の彼方

「ゴールデン・ハーフの太陽の彼方」 昭和47年

作曲:Lee Hazlewood 日本語作詞:タカオカンベ

過去ブログをみると7-8月は夏のレコードを飾っていました。今年はコロナ騒動で余裕がないままお盆が過ぎてしまいました。これではさびしいと思い、遅くなりましたが夏の曲を飾っております。

ご存知「乗ってけ 乗ってけ 乗ってけ サーフィン」の曲です。原曲は米国のサーフィンバンド アストロノーツが1963年に出したエレキインストの”Movin'”という曲です(1)。日本語の歌詞をつけてヒットしたのをゴールデンハーフがカバーしました。エレキサーフィンなのでテケテケやリバーブ音が豊富で夏らしいですね。

ゴールデンハーフはメンバーの全員がハーフ(という設定)のアイドルグループでした。ドリフの8時だよ全員集合!などによく出ていました。

向かって左から、マリア(Gメン75の速水涼子刑事で出演、時代劇でも活躍)、エバ(元祖バラドル、天然ボケのコントやギャグが楽しかったですね)、ユミ(小林ユミさん、実は両親とも日本人だったことをのちにカミングアウト)、ルナ(解散後セクシー女優を経て引退)

残暑厳しいですが皆様お身体にお気をつけください。 (院長)

 

(1)インスト曲=インストゥルメンタル曲=歌のない楽器だけの曲。原曲の ”Movin'” は単調な繰り返し構成なので途中で退屈します。大瀧詠一さんが「お経を聴いている境地になる」とCDのライナーノーツに記しています。

 

←前の記事「宝塚宙組 フライング・サパ」次の記事「日本のロックの萌芽(1)ゴールデンカップス」→最新ブログ

2020年

7月

08日

筒美先生の世界(3) 傷つく世代

壁の飾りをかえました。

南沙織「傷つく世代」昭和48年 作曲 筒美京平、作詞 有馬三恵子

筒美先生のスゴイところは洋楽の流行をいち早く取り入れ、それでいてオリジナル筒美サウンドに仕上げてしまうという職人技なんですよね。

なのでどこかで聞いたようなフレーズが隠されているのです。

さてこの曲は、出だしがエリック・クラプトン「いとしのレイラ」です(1)。当時この「傷つく世代」を耳にしたロックファンはニヤリとしたことでしょう。

テーマフレーズのギターを弾くのは矢島賢さん、自身が弾いたとインタビューで答えておられます(2)。そして曲全体をグイグイ引っ張るベースもお聴きください!おそらく武部秀明さんではないかと私は思います(3)。

やがてブラスとストリングスが参入し、ギター&ベース&ドラムスと激しく絡み合いながらノリノリになるのです!そして高揚感を保ったままエンディングまで走り抜ける。

南沙織さんの歌唱も素晴らしい、アイドルとは思えない細やかな表現力なのです。

実に贅沢なサウンド構成、筒美先生の世界をぜひ一度ご堪能ください! (院長)

 

(1)ネットで調べてみましたらエルトンジョンの「罪人にあわれみを」の方が似ているそうです。しかし“ミソラドラソラ”はリズム&ブルースでは普遍的フレーズなので、どの曲から取ってきた、とは言えないでしょうとのことです。(大人のMusic Calendar 2019年5月1日より)

(2)Guitar magazine 2013年11月号

(3)寺川正興さんのようにも聞こえますが、ベースラインの起伏がやや少ないことと、昭和43年頃筒美先生作曲の録音に多数参加していたことから武部秀明さんと考えられます。

 

←前の記事「梅雨のノスタルジー 悲しき雨音」次の記事「宝塚再開 花組 はいからさん」→最新ブログ

2020年

6月

24日

梅雨のノスタルジー 悲しき雨音

壁の飾りをかえました。

カスケーズ「悲しき雨音」"Rhythm of the rain" 1962年

皆様いかがお過ごしでしょうか。少しずつ街の活気が戻ってきましたね。

例年、6月7月には雨に関連するレコードを飾って皆様をお迎えしております(1)。

おそらくこの写真を見て曲名もグループ名もピンとこない方が多いと思います。

しかし曲自体はほとんどの人がどこかで聴いたことがあるはずです。

院長は小学生の頃街角でこの曲をよく耳にしたのを覚えています。電気屋さんのラジカセ、スーパーや百貨店の売り場、ボウリング場、ちり紙交換車の放送・・・歌入りもあれば演奏だけのも。

大学生になりオールディーズを集めていた時に曲の名を知りました。

イントロのオルゴールのような音色(2)が雨のリズムに聞こえるのです。優しいメロディとコーラスがノスタルジックな郷愁を感じさせます。そんなところが日本人にも受けしたのでしょうか。大ヒットしたそうです。雨がしとしと降ってくるとこの曲が自然に出てきます。ぜひ皆様も梅雨のひとときにこの名曲をお楽しみください。

曲名は「悲しき雨音」、歌はカスケーズ、ですよ。  (院長)

 

(1) 2016年欧陽菲菲「雨のエアポート」、2017年欧陽菲菲「雨の御堂筋」、2019年八代亜紀「雨の慕情」和田アキ子「どしゃぶりの雨のなかで」

(2) この音はチェレスタという鍵盤楽器だそうです。

(追記)レコードジャケットのイラストですが、漫画家の永島慎二さん(代表作「漫画家残酷物語」)の絵に見えます。副業でイラスト仕事もされていたのか?ネットで調べても詳細不明。ご存知の方いたら教えてください!

 

 ←前の記事「悲しき願い」次の記事「筒美先生の世界(3)傷つく世代」→最新ブログ

2020年

6月

10日

悲しき願い Don't let me be misunderstood

「悲しき願い」1977年サンタ・エスメラルダ、1965年アニマルズ、1964年ニーナ・シモン、原題"Don't let me be misunderstood "(1)

壁の飾りをかえました。

中原理恵さんの「東京ららばい」の元歌はこれですな。

筒美京平先生本人がサンタ・エスメラルダみたいな曲を作りたかった、とおっしゃっていたそうです。これは作詞の松本隆さんへのインタビューで語られています。

サンタエスメラルダ版はラテンのリズムにのせたディスコサウンドで、演奏も歌も情熱的ですよ。「東京ららばい」にはこの感じがよく出ていますね。

サンタエスメラルダの元が英国のブルースロックグループ、ジ・アニマルズです。エリック・バードンの魂の叫び歌唱(2)がハモンドオルガンと相まって胸を打ちます。そしてさらに大もとのオリジナルが1964年ニーナ・シモンが歌ったブルーズです。

元の歌をたどるのも歌謡曲鑑賞の楽しみです。 (院長)

 

(1)この英文、使役動詞letのS+V+O+C構文で、Cの部分が受動態なのでbe+過去分詞かつ不規則変化という、受験英語的には結構ややこしい文章です。歌詞の1行目 Baby, do you understand me now ? に呼応してるんでしょうね。歌詞にはその他intention, regret, be bound to~などセンター試験に出そうな単語・熟語が入ってます。まあそんな無粋なことを考えるとこの歌の良さは味わえないわけですが。

(2)エリック・バードンの歌をぜひご鑑賞ください。

 

←前の記事「筒美先生の世界(2)東京ららばい」次の記事「梅雨ノスタルジー 悲しき雨音」→最新ブログ

2020年

5月

27日

筒美京平先生の世界(2) 東京ららばい

壁の飾りをかえました

「東京ららばい」中原理恵 昭和53年、作詞:松本隆、作曲:筒美京平

昭和53年というのは演歌が不振、ニューミュージックが売れて商業化の傾向となり、80年代アイドル全盛期の前夜という時代です。何となく特徴のない、分類しづらい年と言えます。そんな混沌とした時期は、皆が新しいサウンドを模索して面白い音楽が産まれてくるように思います。この年は、女性では渡辺真知子、庄野真代、中原理恵(1)、サーカスが新しいサウンドとして流行しました。みな同年第29回NHK紅白に出場しました。

さてどんな時代背景であっても、そのとき最先端で流行している洋楽をいち早く取り入れ、新しいスタイルのヒット曲を作り上げる名人が筒美京平先生なのです。この曲では当時流行していたディスコ音楽のイントロとラテンな雰囲気を取り入れ、しかも日本的旋律も交ぜつつ、皆の耳に残るキャッチーなメロディーを編み出しました。筒美先生はこの年の紅白に岩崎宏美「シンデレラ・ハネムーン」、庄野真代「飛んでイスタンブール」、中原理恵「東京ららばい」、太田裕美「ドール」、野口五郎「グッド・ラック」と5曲も送り込んでいるのです(2)。すごいですね!皆様、歌謡曲をお聴きの際には作曲者名のチェックもしていただけるとより楽しめます。   (院長)

 

(1)この当時の中原理恵さん、歌の内容も見た目も大人っぽいですが、実は20歳だったそうです。後に中原さんは欽ちゃんの番組にレギュラー出演しコントを演じましたね。

(2)岩崎宏美「シンデレラ・ハネムーン」=ディスコ・サウンド、庄野真代「飛んでイスタンブール」=エキゾチック中東風、中原理恵「東京ららばい」=ラテン系、太田裕美「ドール」=70年代アイドル直球ど真ん中、野口五郎「グッド・ラック」=AOR風、と多彩なのです。

 

←前の記事「筒美先生の世界(1)にがい涙 スリーディグリーズ」次の記事「悲しき願い Don't let me be misunderstood」→最新ブログ

2020年

5月

13日

筒美京平先生の世界(1) にがい涙 スリーディグリーズ

壁の飾りをかえました。

「にがい涙」スリー・ディグリーズ 作詞:安井かずみ、作曲:筒美京平

東京スカパラダイスオーケストラの故クリーンヘッド・ギムラさんが熱唱されていました。初期スカパラのカバー曲は選曲センスが抜群ですね。その元の曲がこれです。

スリー・ディグリーズ(1)はフィリー・ソウル(2)を代表する3人組です。70年代ディスコ・サウンドと言えば思い出されるのではないでしょうか。ディスコ大流行の時代に純日本製ディスコ曲を作ろう!という企画で制作されたのが本曲です。

作曲は筒美センセ!もう先生は何でも書いちゃうスゴイ職人的作曲家なんです(3)。歌謡曲ファンの間では神様です(きっと業界の方々の間でももっと神でしょう!)。ディスコが流行っていた当時は浅野ゆう子さん、岩崎宏美さん、桜田淳子さんなどにも和製ディスコをバンバン提供しました。

そして作詞は、新しい女性像を描く詩人、安井かずみさんです。本曲では演歌的とは違うスタンスから女性の情念を表現します。

スリーディグリーズがこの日本語歌詞の意味を深く理解していたとは思えませんが、それでも言葉関係なく深く心に残る歌唱ですね、歌もダンスもソウルフル。

皆様ぜひいちど動画などでご覧ください。そして、ぜひ東京スカパラダイスオーケストラの「にがい涙」もお聴きください。 (院長)

 

(1)「ソウル・トレインのテーマ」「天使のささやき」を歌った人気グループです

(2)フィラデルフィア・ソウルの略

(3)ブルーライトヨコハマからサザエさんも…全作曲数2700曲以上、ヒットチャート登場500曲以上…キリがないほど偉大な作曲家です。

 

←前の記事「ウーハンの女 東京スカパラ」次の記事「筒美京平の世界(2)東京ららばい」→ |最新ブログ

2020年

4月

22日

ウーハンの女 東京スカパラダイスオーケストラ

ウーハンの女 東京スカパラダイスオーケストラ 1990年(平成2)

壁の飾りをかえました。珍しく平成時代、それも歌謡曲以外。

スカパラがインディーズ時代、梅田EST1のワルツ堂で購入しました。赤い方はメジャーデビューCDです。初期のスカパラは胡散臭さに満ちているのが魅力でした(1)CD5曲目に「ウーハンの女」が収録されています。中国風のメロディーにスカ(2)のリズムを合わせたノリの良い曲です。漢字で書くと「武漢の女」です。

そう、武漢はコロナで一躍有名になりました。

先日家で「ウーハンのコロナは終息しそうだね」なんて話をしていたら妻に「ウーハンて何?」と怪訝な顔をされました。ウーハンておかしい?院長は「武漢」の字をみるとつい心の中で「ウーハン」と音読してしまいます。というのも昭和時代に地理の授業で「ウーハン」と習って以来(3)身に染みついているんですよね。

地理では各国の重工業コンビナートが頻出で、武漢はけっこう重要なのです。

#ターイエ(大冶)鉄鉱石+ピンシャン(萍郷)石炭→ウーハン(武漢)鉄鋼コンビナート 

#アンシャン(鞍山)鉄鉱石+フーシュン(撫順)とフーシン(阜新)石炭→鞍山鉄鋼コンビナート・・・という具合に。漢字も覚えました(3)

TVでしきりに「ぶかん」と言っているのを聞くと違和感アリアリです。

人口1100万の武漢は76日の都市封鎖を経てコロナを乗り切ろうとしています。

1300万の東京そして大阪も兵庫も日本中の町が今なおウイルスに苦しんでいます。現場で戦っておられる医療者の皆様本当にお疲れ様です。営業自粛で苦しんでいる皆様お疲れ様です。一日も早くコロナウイルス感染症が終息するよう願っています。(院長)

 

(1)スカパラがインディーズ時代、観に行きました。神戸チキンジョージ。ものすごい熱気のライブでした。その次に見たときは有名になり神戸国際会館に昇級していました。スカパラと同じモッズスーツを作りたくて世田谷区「洋服の並木」まで行きました。懐かしい。

(2)スカはジャマイカから発祥したポピュラー音楽の種類。「スッチャスッチャ・・・」というリズムが特徴。

(3)現在も地理の授業では中国の地名をカタカナで教えているそうです。政治的配慮とか色んな事情があるみたい。ただし今は原則漢字無し(教えるのは任意)で全部カタカナ表記の教科書や地図帳は恐ろしく読みづらいです。

 

←前の記事「花組はいからさんが通る」次の記事「にがい涙」→最新ブログ

2020年

3月

18日

春なのに

壁の飾りをかえました。

「春なのに」昭和58年 歌 柏原芳恵、作詞・作曲 中島みゆき 

いまやほぼ全ての日本人がこう思っているんじゃないでしょうか。三月といえば心躍る季節なのですが、今年は春なのにちっとも楽しくないですな。

さて表題曲は卒業式を舞台とした別れの曲です。テレビやラジオでよく流れていたのを覚えています。今聴きなおすと中島みゆきさんの詞が味わい深いですね。女子高生の心情吐露だけを以て、卒業式当日の光景、彼へのこれまでの思いとかかわり、映像と時間経過が映画のように浮かび上がってくるのです。男子の一言で色々察した女子高生が諦め忍ぶさまは、演歌のそれであります(1)。女子高生にしては大人すぎるようにも思えます。当時柏原さんは堀越高2年生(2)、歌詞の主人公とほぼ同年齢のアイドルが現にそこで歌い上げることにより、年齢不相応な演歌的情念がリアリティに結実せざるを得なくなるのです。

今上陛下が皇太子であられた頃、「好きな歌手は柏原芳恵さん、「春なのに」がいいですね」とお話になられたエピソードが有名です。

早く楽しい春が戻るといいですね。      (院長)

 

(1)後年マツコ・デラックスさんがこの曲を「演歌の世界」と評されています。

(2)この曲は制服姿でのTV出演が多かったようです。

 

←前の記事「ジュリーの美学」次の記事「宝塚休演中花組はいからさん」→最新ブログ

2020年

3月

04日

ジュリーの美学  ロイヤルストレートフラッシュ

壁の飾りをかえました。

沢田研二ベストアルバム「ロイヤルストレートフラッシュ」昭和54年

ロイヤルストレートフラッシュはポーカーで最高位の役です。70年代ジュリー最高のヒットが並びます。

ジュリーは小学生男子にとっても憧れのスターでしたよ。レコードは高くて買えないのでテレビの歌番組で見るのが楽しみでした。御覧くださいこのレコードジャケット。派手な衣装と気障がこれほど似合うスターはいません。

こんな男おらんやろ、というほどのキザっぷりがジュリーの美学ですね。現実離れが振り切ってるのがいいのです。帽子を飛ばしたり、ウィスキーを口から噴射したり、空中を飛んだり、ジュリーが何をやるのかみんな毎週ワクワクしました。アイドルでもない、大人向け歌謡でもない、独自のカッコよさがあるスター(1)

こういうキザはだんだん見かけなくなりました。時代がリアルと日常性を求めるようになったからでしょう。いまやキザなセリフを聞かせてくれるのは名探偵コナン君くらいです(2)

しばらくこういう感覚を忘れていましたところ、大人になって宝塚との邂逅がありました。ヅカ男役の美学もまたキザを追求するところがあります。何かジュリーの美学と相通ずるものがあるように思うのです(3)。旧友に再会したような不思議な気分であります。皆様、ぜひジュリーの美学をご堪能ください。  (院長)

 

(1)他方ドリフのコントで見せるお笑いのジュリーも面白くて楽しみでした。久しぶりに見たら大爆笑でした。

(2)昔のアニメはキザが多かった。ルパン三世、スペースコブラ、キャッツアイ、日常でこんな話し方しないって!

(3)LP収録曲B-5「あなたに今夜はワインをふりかけ」は、まさに2017年花組公演「Santé!!」で歌われました。


←前の記事「宝塚 星組 眩耀の谷/RAY」次の記事「春なのに」→最新ブログ

2020年

1月

15日

ちあきなおみのアイドル時代

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。
壁の飾りをかえました。
ちあきなおみ「X+Y=LOVE」昭和45年 作詞:白鳥朝詠、作曲:鈴木淳
フィンガー5の電話を見ていたら、この曲を思い出しました。ジャケット写真の通りです。初期のちあきさんはデビューの「雨に濡れた慕情」はしっとりジャズ風でしたが、3枚目「四つのお願い」、4枚目「モア・モア・ラヴ」、5枚目本曲「X+Y」とお色気アイドル路線だったのです。同時代でいうと奥村チヨ、辺見マリ、山本リンダ系列です。

その後、昭和47年「喝采」、48年「夜間飛行」、49年「円舞曲」など渋い曲で本格派という位置づけになりました。しかしアイドル時代から相当な上手さです、というより元々とびぬけて上手い歌手がレコード会社の方針でアイドル系を歌わされたということですね。この曲なんて歌詞が他愛もないナンセンスで仕方ありませんが、歌声を聴いているだけでだけで耳がスピーカーから離れません。本物の歌唱力を持つちあきさんの歌はどんな楽曲でもすばらしいですね。ぜひ一度ちあきさんの歌をご鑑賞ください。 (院長)

 

←前の記事「井上忠夫の世界 恋のダイヤル」次の記事「受験数学の話 相加平均≧相乗平均の威力」→最新ブログ記事→

2019年

12月

25日

井上忠夫の世界 恋のダイヤル

壁の飾りをかえました。
フィンガー5「恋のダイヤル6700」昭和48年 作詞:阿久悠、作曲:井上忠夫
ブルーコメッツの井上大輔さん(本名 井上忠夫)は後に作曲家として大活躍します。
初期代表曲の一つがコレです(1)
曲構成は当時流行していたソウル風です。そして何より小学5-6年生のアキラ君と妙子ちゃんの高音のソウルフルな歌が印象的で、まさにジャクソン5のマイケル坊や(2)です。井上さんのアメリカンポップスとソウルR&Bに対する憧れが詰まった曲です。
歌詞の世界もアメリカンですよ。何せ、明日の卒業式で彼女に告白しよう、なんてこれはアメリカのプロム(2)のことですよ。そんなシャレたもん昭和の日本には存在しないからね。電話番号が入った歌というのも古くはグレンミラーのペンシルベニア6-5000から、R&Bならマーヴェレッツの「恋のビーチウッド4-5789」やウィルソン・ピケットの「634-5789」が思い浮かびますが、この曲はマーヴェレッツの歌を意識していそうですね(3)
当時はそんな音楽的背景なんか全く知らなかったけれど、子供たちはみんなフィンガー5が大好きでした。この曲とフィンガー5の歌からあふれる楽しそうで元気でアメリカンな魅力に引き付けられたんでしょうね。
井上さんはこの後80-90年代にもヒット曲を飛ばします。そして以前紹介したシャネルズ「ランナウェイ」につながるのです。 

 

インフルエンザが流行し始めています。皆様くれぐれもお身体にお気をつけください。

それでは良い新年をお迎えください。来年もよろしくお願い申し上げます。(院長)

 

(1)フィンガー5「学園天国」も井上さんの作曲です。
(2)後のマイケル・ジャクソンです。
(2)米国で高校生の卒業パーティーの習慣、”promenade”
(3)と思っていたら、阿久悠さんによるとグレンミラー「ペンシルベニア6-5000)」にヒントを得たそうです。

 

←前の記事「冬のGSブルーシャトウ」次の記事「ちあきなおみのアイドル時代」→最新ブログ記事→

 

2019年

12月

11日

冬に聴きたくなるGS ブルーコメッツ

壁の飾りをかえました。

「ブルー・シャトウ」 ジャッキー吉川とブルーコメッツ 昭和42年

作詞:橋本淳、作曲:井上忠夫
昭和42年第9回日本レコード大賞受賞。同年18回NHK紅白出場。
当時グループサウンズ(GS)が若者に大人気だったのですが紅白に出場できたのはブルーコメッツだけなんですね。理由は「長髪でなく洋服もスーツできっちりしているから」だそうです(1)。

確かにブルコメはGSの中でもシブ目です。楽曲もちょっとマイナー調で哀愁を帯びています。というわけで冬に聴きたくなるGSなのです。ジャケット写真も木枯らし吹く冬ですね。
さてブルコメの栄誉といえば、伝説の米国TV番組「エド・サリバン・ショウ」に出演したGSも彼らだけです。演奏曲は、小田啓義さんが琴で弾く雅楽ではじまり、この「ブルーシャトー」を英語で歌います、間奏の井上大輔さんのフルートが沁み入る音色です、最後のコーラスは日本語で歌ってくれました。カッコイイ名演奏です。ぜひご覧ください!
院長はリアルタイムで聴いたわけでなく、小学生時に替え歌「森トンカツ、泉ニンニク、囲まれテンプラ~」(3)で覚えたクチです。大学生になり日本のGSを研究する中、CDやTVの再放送で聴きました。 若い頃はブルコメなんてジジくさいと思っていましたが、年取ってきた今は楽曲、演奏ともに心惹かれますわ。 (院長)

 

(1)なんじゃそりゃ?と思われるかもしれませんが、当時は長髪やエレキ(ギター)は不良と言われたのですよ。大部分のGSは長髪でした。
(2)米国CBS "The Ed Sullivan Show"1967年12月3日放送

(3)後年、グッチ裕三さんが演っていますね。

 

←前の記事「宝塚宙組 イスパニアのサムライ/ アクアヴィーテ」次の記事「井上忠夫の世界 恋のダイヤル」→最新ブログ記事→

2019年

10月

30日

YMOの功績 ライディーン

壁の飾りをかえました。
YMO ライディーン昭和54年LP「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」
イエローマジックオーケストラ(略してYMO)、チッチキチッチキの機械リズム音から始まる有名曲です。ピコピコ・サウンド懐かしいね、などと片付けてはいけません。
ニューミュージックに商業化の兆しが見えた頃、彼らは現れました。こちらの方が真の意味で「新しい音楽」であったのではないかと思います。
YMOはコンピュータで音楽をどこまで表現できるか実験をしたのです。例えばコンピュータにリズムコントロールさせることで、人の手では弾けないような速く複雑なリズムも出せます。楽器が弾けない人でも練習なく演奏可能になりました。実際「ライディーン」ではバック演奏にかなり速い音符が詰め込まれています。また、機械演奏なので当然ですが故意に人の気配を消した音作りも試みました。同曲ではドラム高橋さんがわざと無表情な叩き方をすることにも表れています。さらに、このことの裏返しで、機械と人間の演奏の差異について研究もなされました。例えばグルーブ(groove)やノリとは何か?についての検証です。電子音は何も加工しなければ均等な符割となり機械的リズムに聞こえます。しかしそのタイミングを均等割合12対12から13対11や14対10などにずらすとグルーブやノリといったものが生まれることを見出しました。これもすごい発見なのです。本アルバムの「Absolute Ego Dance」は14:10のリズムが沖縄民謡に近いことを見つけた曲です。音と音の間隔を細かく検証することによってYMOはグルーブやノリ、民族音楽のリズムを表現することに成功しました。その他、彼らは数々の発見と新しい音楽スタイルへ挑戦し、その後の音楽に大きな影響を与えました。YMOの功績は計り知れません。(何だか総説風の文章になってきました)
 彼らは見た目も新しかった。当時フォークやニューミュージックはボサボサ長髪にジーパンと決まっていました。YMOはテクノカットに人民服やタキシードですよ(1)、新鮮でしたね。  (院長)

 

(1)テクノカットはもみあげを耳の上でまっすぐ落とす髪型です。人間臭さを消す意図があったのでしょう。写真1枚目LP「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」人民服のようないでたちで麻雀です、2枚目はLP「イエロー・マジック・オーケストラ」の裏面、タキシード姿でシンセサイザー用の接続コードを手にしています。 

(おわび 間違えて文1週間ほど文章の記事を消していました。11/4追記しました)

←前の記事「ニューミュージックと深夜放送」次の記事「宝塚宙組 イスパニアのサムライ」→最新ブログ

2019年

10月

16日

ニューミュージックと深夜放送

松山千春「大空と大地の中で」昭和52年 LP「君のために作った歌」
壁の飾りをかえました。はじめて買ってもらったLPです。

この時代はニューミュージックが流行っていました。明確な境界線があったわけではなく、今考えるとフォークの流れを汲むのが多かったです。拓郎さん、さだまさしさん、中島みゆきさん、ガロ、アリスなどなど、松山さんもそうですね。他にはロック系、AOR系、シティポップ系、とにかくアイドルと演歌以外は全部ニューミュージック。テレビに出ないポリシーの人もいたりして、深夜ラジオが彼らの活躍の場でした。松山千春のオールナイトニッポン、チー様(松山さんの愛称)の小気味いいトークを聴くのが楽しみでした。私には兄さんはいませんけど、なんだか兄貴に話しかけられてる感じがしましたね。この曲はチー様のオールナイトが終わるときのテーマ曲です。

5-6年もするとニューミュージックという言い方は消滅しました。今や懐かし音楽の代名詞となり、新しいんだか旧いんだかわからないですね。しかし、あの頃は何だか訳がわからないが音楽の世界がとにかくアツかった。 (院長)

 

LPの歌詞カードにはチー様直筆の楽譜と歌詞があるんですよ。丁寧な字を書く方です。そして松山さんのサインは当時流行していた「丸文字」ですな。丸文字も今や廃れた文化! 

 

←前の記事「どこまでも伸びる声/かもめが翔んだ日」次の記事「YMOの功績 ライディーン」→最新ブログ記事→

2019年

10月

02日

どこまでも伸びる声/かもめが翔んだ日

「かもめが翔んだ日」昭和53年 歌・作曲 渡辺真知子、作詞 伊藤アキラ

のびる歌声について書いて思い出しました、渡辺真知子さんの声を。どこまでもどこまでも伸びる歌声ですね。聴いていて清々しい気持ちになります。
「ニューミュージック」が流行したのがこの頃でした。 当時は子供向けアイドルと大人向け演歌がほとんどでしたから、こんな感じで歌う人が新鮮でした。ニューミュージックはラジオから発信されていて、「ああこれがニューミュージックなんだ」と思いました。「シンガーソングライター」という言葉も流行りました。のちに歌謡曲の研究で知ったことですが、この時代までは職業作曲家・作詞家の先生に曲を書いてもらうことが当然だったのです。歌手が自分で曲を書くなんてトンデモナイことだった、それがニューミュージックは自分で書いて自分の世界を表現する、新しい時代の到来でした。
もうひとつ、この時期から「翔」という漢字が世に広まりました。「とぶ」を表す漢字は「飛」「跳」ですが、昭和51年司馬遼太郎「翔ぶが如く」を契機に、流行語「翔んでる女(1)」や、ドラマ「翔んだカップル」、横浜銀蝿「翔さん」などを経て、一般の言葉になりました。現代でも人名に使われる漢字の常連(2)ですね。ただし漢和辞典を見ても「とぶ」という読みはありません。正式な訓読みは「かける」です。
今やニューミュージックという言葉はすっかり廃れましたが「翔」は続いています。あの頃は何でも新しいことに挑戦できる時代だったのですね。(院長)

 

注1)翔んでる=俗に、世間の常識にとらわれず、思い通りに自由に行動するさま(三省堂「大辞林」)

注2)宝塚にも多くの「翔」がいらっしゃいます。高翔みず希さん(76期花組組長)、北翔海莉さん(84元星組トップ)、鳳翔大さん(88元雪組)、彩凪翔さん(92雪組)、星吹彩翔さん(93宙組)、風馬翔さん(94元宙組)、颯希有翔さん(96月組)、若翔りつさん(99宙組)、鷹翔 千空さん(101宙組)

 

←前の記事 宝塚宙組「追憶のバルセロナ/NICE GUY!」次の記事「ニューミュージックと深夜放送」→最新ブログ記事→

2019年

7月

31日

夏が来た

暑いですね。壁の飾りをかえました。
「夏が来た!」キャンディーズ 昭和51年5月 作詞・作曲 穂口雄右
キャンディーズ夏の歌としては、翌年の「暑中お見舞い申し上げます」に隠れてあまり目立ちませんが佳曲です。院長も当時のことをよく覚えていません。大学生のときシングル全集CDを買ってこの曲のことを知りました。キャンディーズ解散から10年余り過ぎていました。「春一番」が昭和51年3月にシングルでヒット(1)したので、他の歌手が歌う予定のところ、急遽キャンディーズが5月に歌うことになったそうですが、あまりヒットしなかったようです。
歌詞も曲も少し哀愁の穂口節です、エレキとハモンドオルガンの音色が昭和生まれオヤジの心に沁みます。

暑い日が続きます。皆様くれぐれも御身体にお気を付けください。 (院長)

 

キャンディーズの話をすると必ず誰が好きだったかと聞かれます。院長はミキちゃん派です。

(1)拙ブログ 2017年2月8日「春一番」は録音が2種類あります  を御参照ください。

 

←前の記事「ボサノバを作った男ジョアンジルベルト」次の記事「夏の読書 昭和を考える8月」→最新ブログ記事へ→

2019年

7月

17日

ボサノバを創った男 ジョアン・ジルベルトさん

壁の飾りをかえました。
ジョアン・ジルベルト 「Chega de saudade」(1) 1959年
ボサノバ(bossa nova)は1950年代にブラジルで生まれた音楽のスタイルです。アントニオ・カルロス・ジョビン、ヴィニシウス・ヂ・モライスたちとともにボサノバ創成期の中心人物であります。
個人的思い出で恐縮ですが、医学部5-6年の頃、中南米音楽に凝っていまして、ボサノバをたくさん聴き、集めました。ボサノバを延々何時間も流しながら国家試験の勉強をしました。冷房をガンガンにかけて聴くボサノバは最高です。狭いアパートの部屋をブラジルの風が吹き抜けるような気がしました。卒業旅行には憧れのブラジルに行くことができました(3)。リオデジャネイロの中古レコード屋で購入したのがこのLPです(2)
後年、来日公演も観れました。すでに高齢だったジョアンですが、彼は舞台で「寝る」ことで有名でした。ご本人としては「瞑想にふけっていた」そうなのです。私が観たときは20分くらい静止状態、その間一切無音!年が年だけに心配しましたよ。再び歌い出したときは一同安心しました。そんなこともあわせていい思い出です。
ボサノバを創った偉人 ジョアン・ジルベルトさんは2019年7月6日に逝去されました、享年88歳、ご冥福をお祈りします。   (院長)

 

(1)シェガ・ジ・サウダージと読みます。サウダージはブラジル語(ポルトガル語)で「郷愁」「わびしさ」「切なさ」のような感情を表す単語で、日本語や英語など他の言語では表しにくい言葉です。

(2)このLPはデビューアルバムです。まだジョアンが米国に渡る前、ジャズの影響が少ない時期のものです。この盤はおそらく初版ではなく60-70年代の再発物と思われます。

(3)リオデジャネイロではボサノバの巨人アントニオ・カルロス・ジョビン宅訪問(観光地になっている)もできました。イパネマ、レブロン海岸の美しさに見とれました。アマゾン河の街マナウスも行けました。

 

←前の記事「日本のR&Bアッコさんのどしゃぶりの雨」次の記事「夏が来た」→最新ブログ

 

2019年

7月

03日

日本のR&B(4)アッコさんのどしゃぶりの雨

雨が続きますね。壁の飾りをかえました。強い雨の夜はこの曲を思い出します。

和田アキ子「どしゃぶりの雨の中で」昭和44年 作詞:大日方俊子、作曲:小田島和彦
オルガン+硬質ベース+管楽器のイントロ数秒だけで有無を言わせず惹きつけてきます。そしてアッコさんの歌唱がうますぎて心酔してしまいます!土砂降りの雨ほどに涙を流す女性とその悲しみを見事に表現しきっているのです。もうね、本物のブルーズ歌手ですよこの人は。楽曲も歌もリズムを音符通りに乗せない、うねっている、これが完全にリズム&ブルースなんですね。今の和田アキ子さんを想像している方、とにかく一度お聴きください。日本のリズム&ブルースの名曲であります。 (院長)

 

(1)作曲の小田島さんはポリドールレコードの社員をしながらキングトーンズ「グッドナイトベイビー」や、さくらと一郎「昭和枯れすすき」を「むつ・ひろし」名義で作曲した方ですね。

 

←前の記事「阿久悠の世界 雨の慕情」次の記事「ボサノバを創った人 ジョアン・ジルベルト」→最新ブログ

2019年

6月

12日

阿久悠の世界 雨の慕情

壁の飾りをかえました。もうすぐ梅雨入りでしょうね。
「雨の慕情」昭和55年、唄:八代亜紀、作詞:阿久悠、作曲:浜圭介
前回から続き阿久悠さんの曲です。阿久悠さんの詞は短い言葉で表しながら映像と情念と物語の世界を描くのです。当時中学生であった院長には当然難解過ぎる歌詞でした。しかしそんな大人向けの歌であるにも関わらず、若者や子供たちまで手のひらを天に向ける例の振付をみんな真似しましたな。どうもサビのリフレイン「雨雨降れ降れ、もっと降れ」には人を無条件に従わせる魔力があるのだという説明(1)をみて、院長もハッと納得がいきました。      (院長)

 

参考文献
(1)歌謡曲完全攻略ガイド : '68-'85 (学陽書房): 1996 p.99「1980年「レコード大賞」を受賞した際に、新人賞の聖子やトシちゃんを目当てに会場を占拠した若者たちを”雨雨降れ降れ、もっと降れ”と大合唱させてしまったこの曲が持つある種の原初的な呪術性と祝祭性に、アシッドな魔力を感じずにいられないのである。」

 

←前の記事「日本の青春時代」」次の記事「日本のR&B アッコさんのどしゃぶりの雨」→最新ブログ

2019年

5月

29日

日本の「青春時代」

壁の飾りをかえました。1か月サボっていたわけではなく宝塚宙組「オーシャンズ11」は千秋楽まで毎日眺めていたかったのです。院長が応援している蒼羽りくさん卒業で大変さびしいです。大好きな純矢ちとせさん澄輝さやとさんもお疲れ様でした。でも、卒業おめでとうございます!

アメリカの青春、宝塚に続き、日本の「青春時代」、卒業の歌ですね。
森田公一とトップギャラン「青春時代」昭和51年 作詞 阿久悠、作曲 森田公一

当時、院長は小学生でした。キャッチーなメロディーが今でも耳にこびりついています。決してハンサムとは言えない森田公一さんがピアノを弾きながら熱唱する姿もよく覚えています。歌の内容は子供には理解できないものですな。阿久悠さんの描く青春は、アメリカングラフィティの青春とは違う、日本の「青春時代」であります。院長は青春時代はとうの昔に過ぎすっかりおじちゃんになっても道に迷ってばかりですわ。

調べてみるとTBSの音楽番組「トップスターショー・歌ある限り」(ザ・ベストテンの前番組)のエンディングテーマとして毎週出演していたそうです。何度もしつこく聞いた覚えがあるのはそのためかもしれませんね。徐々に人気に火が付き半年後には100万枚売れ、翌昭和52年紅白に出場しました。  (院長)

 

←前の記事「宝塚宙組 オーシャンズ11」次の記事「阿久悠の世界 雨の慕情」→最新ブログ

 

(参考)森田公一さんは歌手としてより作曲家としての活動が広く、名曲をたくさん書いておられます。 アグネス・チャン「ひなげしの花」(1972年)、天地真理「ひとりじゃないの」('72)、キャンディーズ 「あなたに夢中」('73)、危い土曜日」('74)、「ハートのエースが出てこない」('75)、桜田淳子 「黄色いリボン」('74)、 TVドラマ「ワイルドセブン」('72)、由美かおる 「炎の女」('73)、和田アキ子 「あの鐘を鳴らすのはあなた」('72)などなど

 

 

2019年

4月

10日

アメリカの青春時代 アメリカン・グラフィティ

アメリカン・グラフィティ 1973年 監督ジョージ・ルーカス
ドゥーワップの話をしてこのアルバムを取り上げないわけにはいきません。
映画の舞台は1962年カリフォルニア州の田舎町。アメリカが最も輝いた時代が終わる頃を描きました。誰しも青春時代は必ず終わり、いつかは大人にならなければいけない。それゆえ最も輝く時代は短く美しい。そして人間と同じく、社会や文化も時代によって変わる運命にある。そんな示唆が伝わってくる話なのです。
サウンドトラック・アルバムは1962年時点で流行していた41曲からなります。いわゆるオールディーズの曲です。この映画ですね曲があまりにもピッタリ合っているのです。もうね、曲名を見ているだけで映画のシーンが目に浮かんで泣けてきます(1)。なお前回の「ランナウェイ」と同名の有名曲が3曲目(2)に入っています。ドゥーワップの名曲もたくさんあります。院長はSixteen Candles / The CrestsやGoodnight, Well It's Time To Go / The Spaniels が好きです。その他にもロックンロール、リズム&ブルース、そして当時新興であったサーフィンサウンドも、名曲が勢揃いです。
今もDVD、CDが発売されていますので、ぜひ映画と音楽をお楽しみください。(院長)

 

(1)院長はこの映画100回以上見ました。ビデオで、しかもβとVHSで。曲順も全部暗記してました、一時はウルフマンジャックの英語DJの台詞まで覚えていましたよ。

(2)Del Shannon の Runaway  邦題「悲しき街角」。これはドゥーワップではなくロックンロールです。なお、シャネルズのランナウェイの題名はこの曲からとったと作者が語っているそうです。

 

←前の記事「日本のドゥーワップ ランナウェイ」次の記事「宝塚宙組のオーシャンズ11」→最新ブログ記事→

2019年

3月

27日

日本のドゥーワップ(3)ランナウェイ

壁の飾りをかえました。日本のリズム&ブルースを語るうえで重要な曲です。
シャネルズ(1)「ランナウェイ」昭和55年 作詞 湯川れい子、作曲 井上忠夫
ものすごく流行りました、100万枚売れたそうです。元々パイオニアのラジカセ「ランナウェイ」のCMソングとして作られたそうです(2)
湯川・井上両氏が、1960年前後のドゥーワップ・サウンド(3)を日本オリジナルで完全再現しました。シャネルズのコーラスメンバーは顔を黒塗りして注目されました。しかしながら演奏と歌唱を聴けば、それが単なる話題集めだけでなく、彼らの黒人音楽に対する憧憬と尊敬の発露であることが痛いほど伝わってきます。
日本のリズム&ブルースを3曲検証しましたが、ドリフのズンドコ節(1968)は60年代後半ソウル・サウンドながら原曲は「海軍小唄」でヨナ抜き音階(4)です。キングトーンズ(1968)はドゥーワップを意識しつつもプラターズのように甘いメロディーとして一般受けするようアレンジしています。いずれも当時の日本人に受け入れられるためには多少の手加減が必要だったのです。しかるにランナウェイ(1980)には楽曲も演奏者も一切の譲歩がありません。この12年間、日本人は音楽を作る側だけでなく聴き手側も洋楽を自分のものとして消化したわけです。100万枚売れたことがその証拠であります。日本に洋楽が浸透する過程を伺い知ることのできる貴重な資料です。  (院長)

 

(1)現在の「ラッツ・アンド・スター」です。
(2)そういえばそんなCMありました!大型ラジカセも当時流行っていました。
(3)1950年代から60年代前半頃に流行した黒人音楽リズム&ブルース合唱のスタイルで、リードボーカルに対しコーラスで「ドゥーワッ」「シュビドゥビ」「ドゥビドゥワ」などのスキャットをつけることが特徴。 ウィキペディア日本「ドゥーワップ」から引用・要約。
(4)日本風の音階で西洋音階の四度(ファ)と七度(シ)を抜くのでこう呼ばれる。民謡・演歌・唱歌で多用される。独特の哀調をもち日本人の情緒に訴えるメロディーになる。

 

←前の記事「日本のR&Bグッドナイトベイビー」|次の記事「アメリカの青春時代 アメリカン・グラフィティ」→最新ブログ記事→

2019年

3月

13日

日本のR&B(2)グッドナイトベイビー

壁の飾りをかえました。
ザ・キング・トーンズ「グッド・ナイト・ベイビー」昭和43年
作詞 ひろ・まなみ・作曲 むつ・ひろし
発売から1年かけてじわじわと人気が高まり、昭和44年3月にオリコン2位、昭和44年第20回紅白に出場しました。米国でもビルボードR&B部門48位にチャートイン。
日本ポリドール・レコードのリズム&ブルース好きの社員であった松村孝司さんが、当時としては本格的な(歌謡曲風でない)R&B曲を書いたそうです。作曲者に社員の名を出すのはマズかろうというので、ペンネームにしたそうです。
 同じR&Bといってもドリフのズンドコ節は60年代後半の音ですが、それに比べキングトーンズはちょっと前の50年代~62年頃の「ドゥーワップ」を意識した楽曲です。プラターズのような甘い印象の曲ですね。
リードボーカル内田正人さんのハイテナーボイスが美しい。とくにファルセット(裏声)が切ない表情で哀愁を感じますね。そんな内田さんですが先日2019年2月25日にお亡くなりになりました。日本リズム&ブルース界の偉大な功労者のご冥福をお祈りします。(院長)

 

←前の記事「幸福の木ドラセナに花が咲きました」次の記事「日本のドゥーワップ ランナウェイ」→最新ブログ記事→

2019年

1月

22日

日本のR&B(1)ドリフのズンドコ節

壁の飾りをかえました
ザ・ドリフターズ「ズンドコ節」昭和44年 作詞・作曲:不詳
誰もが聞いたことのあるメロディ、コミックソングと侮ってはいけません。日本を代表するリズム&ブルース(R&B)の名曲なのです。ぜひ一度歌だけでなく演奏もお聴きください。
イントロから物凄い音圧で攻めてきます。そしてズンズンズンズン・ズンズンドコと中毒性のあるリズムで突っ走るグルーヴが耳から離れません。
ベースは江藤勲さん、ドラムは石川晶さん、ともに昭和歌謡の大御所スタジオミュージシャンですね。間奏では加トちゃんのスキャットも決まっています。
見た目もR&Bです。ドリフのメンバーはスーツ姿、マイク前に整列して振りをつけながら歌うのです。その姿はテンプテーションズかフォートップスかというくらいに、まさにR&Bグループなのです。    (院長)

 

←前の記事「ふりむかないで」次の記事「宝塚宙組 真風さんのソーラン節」→最新ブログ記事→

2019年

1月

09日

ふりむかないで

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

 

壁の飾りをかえました。
ハニーナイツ「ふりむかないで」昭和45年、作詞:池田友彦、作曲:小林亜星
日本全国の街を歌うご当地ソングといえばこれも流行りました。エメロンリンスのTVコマーシャルです。全国各地で女性に後ろから声を掛け、ふりむいてもらうという、あのCMです。懐かしいですね。
歌うハニーナイツはコーラスグループで、ドラマ・アニメ・CMなどの仕事を中心にスタジオミュージシャン活動が多かったようです。素晴らしいハーモニーに聴き入ってしまします。「妖怪人間ベム」「サスケ」のコーラス、といえば思い出される方も多いでしょう。

 

インフルエンザ感染症が流行しております。皆様、くれぐれも御身体にお気をつけください。 (院長)

 

←前の記事「港町ブルース」|次の記事「日本のR&B ドリフのズンドコ節」→最新ブログ記事→

 

2018年

12月

19日

港町ブルース

壁の飾りをかえました。
森進一「港町ブルース」昭和44年 作詞:深津武志・なかにし礼、作曲:猪俣公章
昭和44年第20回NHK紅白の白組トリの曲です(1)
柳ヶ瀬ブルース」がヒットした昭和41年頃から、地名を盛り込んだ「ご当地ソング」が流行り、いろんな町の歌が作られました。森進一さんの「港町ブルース」もその一つで、北は北海道函館から南は鹿児島県枕崎まで日本の港町がてんこ盛りです。
さてこの曲の聴かせどころは何といっても森さんのむせび泣きサックス唱法でしょう。後年森さんに曲を書いた大瀧詠一さんは「みィィなとおォー、ってこれサックスのブロウでしょ」と解説されています。当時はむせび泣きサックスが大変流行していて「柳ヶ瀬ブルース」や青江三奈の「恍惚のブルース」等が代表、洋楽ではサム・テイラーの「ハーレム・ノクターン」が人気でした。サックスはムーディーな効果を上げるのに使われたのです。(2)「バック(の演奏)が最初はむせび泣いていたわけなんですけど、で本人がむせび泣いて、一緒になって」(3)というわけで森進一さんの歌唱はサックスの演奏からきているという説でした。なお、後年の森さんの「港町ブルース」を聴くとあっさりしているのです。やはりこの時代特有の流行だったのでしょう。

 

皆様、よい年末年始をお過ごしください。 (院長)

 

(1)森さんは紅白2回目で白組トリ!なお大トリは紅組 美空ひばりさんです
(2)「なんせね、このむせび泣きのサキソフォンが当時流行ったんですよ」「ハーレムノクターン、笑うの日本人だけなんだよ」日本ではなぜか必ずムードあふれる色っぽい場面で使われるため、日本人はこの曲を聴くとニヤニヤしてしまうと解説。 NHK-FM 大瀧詠一の日本ポップス伝2 第2回(1999年1月5日放送)より
(3)大瀧さんは、ムードを盛り上げるため「サービスを濃く」しようとした、と解説しています。

 

←前の記事「クリスマスの飾りつけ」次の記事「ふりむかないで」→ 最新ブログ記事→

 

2018年

11月

21日

名曲誕生の条件 柳ヶ瀬ブルース

壁の飾りをかえました。

美川憲一 「柳ヶ瀬ブルース」昭和41年 作詞・作曲 宇佐英雄

 美川さんは大映ニューフェース第17期(昭和39)で芸能界入り(1)、俳優志望から青春歌謡路線を目指していました。会社からムード歌謡の「柳ヶ瀬ブルース」を提示され本人は歌いたくなかったそうです。嫌々歌ったのがかえってクールな感じを醸し出し(2)この曲の雰囲気にぴったり合ったのです。120万枚の大ヒットだったと言います。
 名曲というのは、その時のいろんな条件が偶然重なってできるものです。宇佐さんの曲が採用された経緯(3)、美川さんのニヒリスティックな歌唱。他の誰が歌っても、また本人でも今やこの感じが出ない(4)。演奏も、サム・テイラーばりにむせび泣くサックスに三連符のバックとこの時代の雰囲気をよく出しています。この瞬間しかできなかった神がかり名曲です。
 当時の柳ヶ瀬は大変な繁華街だったそうです。院長は歌謡曲の聖地巡りが好きで、現代の柳ヶ瀬に訪問しましたところ、もうすっかり寂れていました。商店街の路面に「柳ヶ瀬ブルース」の歌碑が埋め込まれていました。 (院長)

 

(1)「釧路の夜」で第19回NHK紅白歌合戦(昭和43)に初出場した際、白組司会の坂本九さんが「大映のニューフェイス」「僕よりちょっとハンサムな美川さん」と紹介しています
(2)「デビュー当時の私は「しゃべらない」「動かない」「笑わない」の「三ない歌手」といわれていて物静かだった。」週刊ポスト2015年インタビューより

(3)宇佐英雄さんは伊豆長岡をテーマにしてこの曲を作り、流しで歌っていたところ、たまたまクラウンレコードの目に留まり採用され、岐阜市の歓楽街柳ヶ瀬をテーマに書き換えたそうです。
(4)藤圭子さん、青江三奈さんの歌もいいですがちょっと違う。また後世の美川さんの歌唱ではこの寂寥感は出ない。オリジナルが断然良いと院長は思います。ギター木村好夫さんの演奏はかなりオリジナルに近い世界観です。

 

←前の記事「桑田佳祐さんがGSに捧げるオマージュ」| 次の記事「クリスマスの飾りつけ」→ 最新ブログ記事→

 

2018年

10月

31日

桑田佳祐さんがGSに捧げるオマージュ

 壁の飾りをかえました。

 ジューシィフルーツ「そんなヒロシに騙されて」昭和58年 詞・曲 桑田佳祐 
高田みずえ、サザンオールスターズと競作で発売されました(1)。ピンクのグレコギターを抱えたボーカル&ギターのイリアさん、かわいいですね。

 さてこの曲は出だしが前回ブログの「スワンの涙」と同じであることは有名です(2)。エレキギターはリバーブサウンドにテケテケやホイッスル奏法など。沖山さんのベースはGS時代の典型的ベースライン(3)。GSの良いとこ取り的な音作りです。これは桑田佳祐さんがGSに捧げたオマージュといってよいでしょう。

 奇しくも同じ昭和58年YAMAHAがデジタルシンセサイザーDX-7を開発上市しています。操作が複雑で専門職のものであったアナログシンセ時代から、誰でも扱えるデジタルの時代を拓いた画期的モデルです。プロアマ問わず世界中で使われました。一つのテクノロジー進歩で音作りが変わった例と言えるでしょう。ちょうどこの頃、ギターよりキーボードがバンドの花形だった時期がありました。その後ユーロビート、テクノなど新しい表現を経て多様性豊かなJ-POP時代に継がれます。

 そう考えればこの昭和58年は転換期であったかもしれません。知ってか知らずか、桑田さんがGSに捧げたオマージュは、同時に旧時代サウンドへの挽歌にもなっていたのです。  (院長)

(1)高田みずえさんはこの曲で第34回NHK紅白歌合戦に出場。サザンはアルバム「綺麗」に収録。
(2)John Wetton の Caught In The Crossfire にも似ているともいわれますがこちらは1980年。曲作りの意図から見てやはり昭和43年「スワンの涙」を意識したと考えるのが自然でしょう。
(3)The Beatlesのタックスマンという曲のベースラインが当時GSの曲に盛んに取り入れられました。

 

 ←前の記事「失神といえば」次の記事→「名曲誕生の条件 柳ヶ瀬ブルース」最新ブログ記事→

2018年

10月

17日

失神といえば オックス スワンの涙

たまには医療の話もしましょう。
失神したと患者さんから聞くと、医者は脳よりも心臓(不整脈)を心配します。失神は脳全体に血が行かなくなることで起こる意識消失症状です。原因で多いのは神経調節性失神といって良性のものですが、中には不整脈など心臓が原因のものがあります。特に心室細動(Vf)は怖いです。数分以内に蘇生処置(心マッサージ、除細動)を行わないと多くの場合死に至ります。処置が遅れると脳に大きな後遺症を残します。気を失っている人を見たら、必ず呼吸と脈の有無を確認してください。なければ直ちに助けを呼んで、心マッサージを始めてくださいね。
失神といえばグループサウンズのオックスです。

「スワンの涙/オックスクライ」昭和43年、詞 橋本淳、曲 筒美京平
王子様系ビジュアルのオックス、失神バンドとして注目されました。その謂れは、コンサートで演奏者が興奮しすぎて失神して倒れ(演技?)、またそれを観てつられて本当に失神するファンが続出したからです。医学的に考えると、興奮しすぎての神経調節性失神や過換気症候群からの失神になったのだろうと思います。Vfや完全房室ブロックなどの心原性失神ではないでしょうね。 (院長)

 

・A面「スワンの涙」は完全に歌謡曲ですが、B面「オックスクライ」はロックです。筒美先生は本当に何でも作曲しますね。橋本先生の歌詞もJPOPには真似できない味わい深さがあります。

・この録音ではベースはメンバーの福井さんでなく、スタジオミュージシャンの江藤勲さん(→ブログ参照)が演奏しているといわれます。

 

←前の記事「大坂なおみさん大活躍ですね」「桑田佳祐さんがGSに捧げるオマージュ」次の記事→最新ブログ記事→

 

2018年

9月

26日

大坂なおみさん大活躍ですね/ナオミの夢

テニスの大坂ナオミさんグランドスラムおめでとうございます。大活躍ですね。
そういうわけで壁の飾りをかえました。

「ナオミの夢」ANI HOLEM AL NAOMI ヘドバとダビデ 昭和46年
日本語作詞:片桐和子  作曲:デビッド・クリボシェ

ナオミという名前は世界中で多く使われると聞きます。中学英語の教科書なんかに出てくるベタなネタを思い出しますね。由緒ある名前で旧約聖書のルツ記に登場する女性なのだそうです。
さて、歌っているヘドバとダビデとはイスラエルの男女デュオです。B面は原曲のヘブライ語版。旧約聖書の国です。

ちょっとマイナーでエキゾチックでこの時代の雰囲気をよく表す曲調です。この頭にこびりつくようなメロディー、長いこと題名がわかりませんでした。大人になってから歌謡曲研究を始めて再会することができました。

そうそう「日本でだけ人気」の外国人歌手やタレントさんが多かったのもこの時代・昭和40年代の特徴です。E.H.エリック、キャロライン洋子、ゴールデンハーフ、チャダ、ダニエル・ヴィダル、マギー・ミネンコおっとベンチャーズもそうです。  (院長)

 

←前の記事「ニッポンの受験生の心を救うビタースイートサンバ」「失神といえば」次の記事→最新ブログ記事

2018年

9月

12日

ニッポンの受験生の心を救う ビタースイートサンバ

ハーブアルパートの「蜜の味」"A Taste of Honey"はカッコイイですね。LP盤 "Whipped Cream and Other Delights" のA-1曲目です。

さて、このレコードには日本人にとって非常に重要な曲が収録されています。
A-4曲目「ビタースイートサンバ」"Bitter Sweet Samba"、名を知らずとも日本人なら誰でも口ずさめる、そう、深夜放送オールナイトニッポンのテーマ曲です。私も小学生・中学生時代に何百回と聴きました。二度目のビタースイートを聴きながら薄明りの空を拝むこともありました。受験の経験がある日本人なら必ずこの番組を聴いたはずです。50年以上も受験生たちの心の支えになり続けています。そして今夜も日本のどこかでビタースイートサンバを聴きながら勉強している受験生がいることでしょう。

受験生のみなさん、秋からでもなんとかなります。できることはまだまだたくさんあります。自分の力を信じ目標に向かってがんばってください。   (院長)

 

(1)ニッポン放送1240kHz(現在は1242kHz)の深夜放送。関西では大阪放送1310kHz(現在のラジオ大阪1314kHz)または近畿放送1140kHz(現在のKBS京都1143kHz)で中継されていました。ただしOBCは3時までの放送で、3時以降は電波の悪いKBSで聴きました。またアンテナを張ると東京のニッポン放送も受信できました。ニッポン放送は時報の音が他局と違うのです。

(2)一部午前1時~3時、二部3~5時、テーマ曲は1時の開始時と、5時前の終了時にビタースイートサンバが流れます。

 

「蜜の味 ベンチャーズ」←前の記事    次の記事→「大坂なおみさん大活躍ですね」

2018年

8月

29日

蜜の味 ベンチャーズ

 壁の飾りをかえました。少し過ごしやすくなってきた夏の終わりにはこんなエレキが似合います。
ザ・ベンチャーズ「蜜の味」"A Taste of Honey"昭和41年、曲 Bobby Scott
 ビートルズも歌っています。ビートルズも大御所歌手(1)のカバーは原曲のとおりムーディーで甘いメロディーです(2)。対してベンチャーズのTaste of Honeyはシャッフルリズムにビートを利かせた演奏です(3)。知らずに聴くと別の曲と思われる方もいるでしょう。
 このアレンジはベンチャーズが考えたのではなく、1965年トランぺッターのハーブ・アルパートさん(Herb Alpert)の手になるものです。マリアッチ風(4)の大胆なアレンジがいいですね。海辺で撮影されたプローモーションビデオなんかカッコよすぎです。ぜひ探してみてください。ハーブ・アルパートはこの曲で66年グラミー賞を受賞しています。


 まだまだ暑い日が続きます。皆様体調にお気を付けください。 (院長)

 

(1)アンディ・ウィリアムズ、ジュリー・ロンドン、トニー・ベネット、バーブラ・ストライザンド、チェット・ベイカーなど大御所さんも歌っています。
(2)メジャーデビュー前のビートルズがライブハウス回りをしていた頃は、ムーディーな曲を入れたほうが客の受けがいいということでしぶしぶ演奏していたそうです。とくにジョン・レノンはこの曲を演るのが嫌だったそうです。だからこの曲のボーカルはポールなのだとか。
(3)ベンチャーズの演奏はこのシングル盤よりも66年ライブ盤のほうがお勧め。ノーキー・エドワーズのギターがノリノリ、アドリブが奮っています。

(4)マリアッチはメキシコの音楽。この時代、アメリカ風マリアッチという意味でアメリアッチと呼ばれました。

 

←前の記事「夏はエレキですね」 「ニッポンの受験生の心を救うビタースイートサンバ」次の記事→

2018年

8月

08日

夏はエレキですね

壁の飾りをかえました。夏になると聞きたくなります。

加山雄三 ブラックサンドビーチ 曲 弾厚作(1) 昭和40年
映画「エレキの若大将」で勝ち抜きエレキ合戦に出演する曲ですね。

エレキ・インスト(2)なので歌はありません。だからこの曲を知らない人が多いでしょう。しかし、昔ロック小僧だった人はみんな知ってます、かつ弾いたことがあります。
当時ベンチャーズやアストロノウツなどのエレキインストのサーフィンサウンドが流行。外国の曲が主流だったなか、加山さんのこの曲は群を抜いて完成度が高いのです。ギターがリバーブ(3)をピュンピュン鳴らしてカッコいいですね。おなじみのテケテケのフレーズは65年オリジナル録音(写真左)では硬質な音、94年版(写真右)はピシャピシャとリバーブ音(4)が爽快であります。
 単純明快なメロディながらエレキ・インストの金字塔ともいえる名曲です。だから今でも数々のミュージシャンからリスペクトされています(5)。これを日本人が作曲し演奏したということに大変な意義があると思います。

 

まだまだ暑い日が続きます。お体に気を付けてお過ごしください。 (院長)


(1)弾厚作は加山さんが作曲するときのペンネームです。この時代、職業作曲家が曲を書くのが当たり前でしたから、自作の曲を自分で演奏して歌うなんて珍しかったわけです。
(2)エレキギターのインストゥルメンタル曲、つまり歌なし器楽演奏だけの曲という意味です。
(3)ギターアンプ附属の残響装置。スプリング・リバーブ装置でミュート音やアタックのある音を弾くとピュンピュン音が鳴ります。ベンチャーズのダイヤモンドヘッド、ウォークドントラン64、等が代表例。
(4)これはフェンダーアンプなど昔のスプリング・リバーブでないと出せない味です。94年版はステレオで音が左右に動く録音で臨場感が高まります。

(5)ヨッチャンこと野村義男さんの演奏がスゴイです。一度探してくださいCD「GS I love you」収録

 

←前の記事「宝塚宙組 真風さんのウェストサイド物語」 「蜜の味 ベンチャーズ」次の記事→

2018年

7月

04日

夏が来ました

壁の飾りをかえました.。「涙の太陽」安西マリア 昭和48年のシングルです。昭和40年のエミー・ジャクソン版がオリジナルです。作詞 湯川れい子、作曲 中島安敏。

夏らしい曲ですね。
小学生にとってはキャンディーズくらいが身近な存在で、安西マリアさんはお姉さん過ぎる遠い存在でしたね。 (院長)

 

←前の記事「洋楽ポップス学部入試 出題ポイント?」 「ランの花が咲きました」次の記事→

2018年

6月

13日

洋楽ポップス学部入試 出題ポイント?

前回の ペギー・マーチ "I will follow him " (1963)、元の歌はフランスでヒットした「愛のシャリオ」 "Chariot "(1962)です。シャリオは馬車の意味です。

I will follow him は「どんな障壁があってもあなたについていきます」、Chariotは「馬車に乗って二人はいつまでもどこまでも行こう」という歌詞です。今の時代だともうこういう歌詞はなくなりました。

フランス語の歌ですが歌手のペトゥラ・クラークは英国人です。ペトゥラ・クラークといえば「恋のダウンタウン」(1)が有名です。それ以前は英米ではあまりヒットがなくフランスを中心に活躍していました(2)。
作曲のポール・モーリアは名前を変えたほうが売れるだろうという理由でDel Romaと名乗り、フランク・プールセルもペンネームで共同作曲しました。編曲はレイモン・ルフェーヴル。フランスのイージーリスニング界の大御所3名が一堂に会した名曲というわけです。

この3回のまとめです: 恋はみずいろ」作曲はポールモーリアではなくアンドレ・ポップ。歌手ヴィッキー・レアンドロスはギリシャ出身。
"I will follow him "はP・モーリアとF・プールセルが変名を使って作曲。英語版の歌はペギー・マーチでこちらが後発、元歌のフランス語版は英国人のペトゥラ・クラーク。P・クラークは当初フランスで人気があった。

 

もし入試科目に洋楽ポップスがあれば、狙われそうな出題ポイントです。 (院長)

 

(1)"Downtown" 1964発表、65年1月ビルボード1位

(2)元々英国で子役として活躍、その後フランスで歌手として人気を得ました。フランスポップスのアイドル、シルヴィ・バルタンとフランソワーズ・アルディと3人でメドレーを歌う映像なんかも残っていて当時の人気が伺えます。

 

←前の記事「ポールモーリアの名前はないけどポールモーリアの曲」 「夏が来ました」次の記事→

2018年

5月

30日

ポールモーリアの名前はないけどポールモーリアの曲

壁の飾りをかえました。

前回の「恋はみずいろ」はポールモーリア楽団で大ヒットしたので間違えやすいですが、作曲はポールモーリアではありません。私はもずっと勘違いしていました。

今回はポールモーリアの名前はないけどポールモーリア作曲の歌です。

"I will follow him" 歌 ペギー・マーチ(1963年)、作曲 J.W.ストール & デル・ローマ。どこにもモーリアの名がありません。彼がわざと名をデル・ローマと変えてフランク・プルセル(J.W.ストール)と共同で作曲しました。

いろんな人に歌われ、そして器楽演奏もラジオや街中でよく流れていました。心に残るメロディーですね。ウーピー・ゴールドバーグ主演映画「天使にラブソングを」(1992年)ではゴスペルに生まれかわり、再ヒットしました。

機会がありましたら一度お聴きください、古き良き時代の歌を思い出すことでしょう。    (院長)

 

←前の記事「恋はみずいろ」 「洋楽ポップス学部入試 出題ポイント?」次の記事→

2018年

5月

09日

恋はみずいろ

壁の飾りをかえました。「恋はみずいろ」ヴィッキー・レアンドロス 1967年 作曲:アンドレ・ポップ、作詞 ピエール・クール、翌68年にポール・モーリアがオーケストラ演奏でカバーし大ヒットさせました。以後多くの音楽家にカバーされ皆が知るメロディーになりました。私が子供のころ1970年代あちこちで聞いた覚えがあります。実家にはポールモーリアのレコードがありました。

オリジナルのヴィッキー版を聞いたのは歌謡曲研究を始めた大学生時代だったと思います。フランス語の響きが美しい曲ですね(1)。   (院長)

 

(1)フランス語の響きが美しいです。でもヴィッキーはギリシャ出身なんですね。1967年のユーロビジョンコンテストではリヒテンシュタイン代表で出場し4位入賞。ずっとフランス人だと思っていました。

 

←前の記事「しつこいようですが・・・寺川ベースの話」 「ポールモーリアの名前はないけどポールモーリアの曲」次の記事→

2018年

4月

18日

しつこいようですが・・・寺川ベースの話

壁の飾りをかえました。欧陽菲菲「恋の追跡」昭和47年

作詞:橋本淳、作曲:筒美京平、ベース:寺川正興

しつこいようですが、もう少し歌謡曲ベースにおつきあいください。

先日江藤勲ベースを取り上げましたが、もうひとり巨匠ベーシスト寺川正興さんを抜きに60‐70年代歌謡曲を語ることはできません。

寺川ベースはとにかく上へ下へと音が激しく移動するベースラインで「エレベーター奏法」とも言われています。しかし地の曲と不思議な調和を成すのです。いちどお聴きください、「あ、聞いたことある」と思われることでしょう!

尾崎紀世彦「また逢う日まで」、森山加代子「白い蝶のサンバ」、和田アキ子「あの鐘を鳴らすのはあなた」、TVドラマ「美しきチャレンジャー」、特撮「電人ザボーガー」、アニメ「鋼鉄ジーク」などが代表といわれます。その他多数の曲が寺川さんが弾いていると伝えられます。寺川さんの演奏曲はベースに聴き入りすぎて歌唱が耳に残らなくなるのが歌手泣かせなところ、玉に瑕でしょうか。欧陽菲菲さんくらいの個性的かつ迫力ある歌がバランスが取れるのですね。  (院長) 

 

 ←前の記事「江藤勲さんのベース」 「恋はみずいろ」次の記事→

2018年

4月

05日

江藤勲さんのベース

「伊勢佐木町ブルース」のベース奏者は元ブルーコメッツ(1)の江藤勲さん。名前は知らなくとも音を聞けば誰もが思い出せる。「ブルーライトヨコハマ」「グッドナイトベイビー」 「ドリフのズンドコ節」「長崎は今日も雨だった」「悲しき願い」「こまっちゃうナ」「虹色の湖」「人形の家」「ルパンIII世(初代)」「みなしごハッチ」「ひみつのアッコちゃん」「アタック№1」みんなこの人です(2)。ほかに膨大な数の録音を残しました。ミュージシャン達がフェンダー、ギブソン、リッケンバッカーなど海外製品を使った中、江藤さんは日本のテスコ社のベースであの独特な硬質サウンドを繰り出したのです。60-70年代歌謡曲の偉大なスタジオ・ベーシストです。
ベース界の至宝、江藤さんは2015年4月25日逝去される前日まで現役ベーシストとしてブンブン弾きまくっていたそうです(3)。

江藤ベースを偲んで壁の飾りです。ちあきなおみさんのデビューシングル「雨に濡れた慕情」昭和44年 作詞:吉田旺、作曲:鈴木淳。一度お聴きください。ベース、ピアノ、ギターそしてちあきさんの歌唱、すべてがとにかくカッコイイ。 (院長)

 

参考

(1) 江藤勲さんはブルーコメッツがGSでレコードを出す前にグループを脱退しています。

(2) ベーシスト 江藤勲のホームページ http://www.eto-isao-bass.jpn.org/Eto_Isao/Welcome.html
(3) 2015.04.28デイリースポーツオンライン「元ブルー・コメッツの江藤勲さん急死」

 

←前の記事「貴方知ってる?このベース音」 「しつこいようですが・・・寺川ベースの話」次の記事→

 

2018年

3月

12日

貴方知ってる?このベース音

壁の飾りをかえました。
伊勢佐木町ブルース 昭和43年 歌:青江三奈、作詞:川内康範、作曲:鈴木庸一

何とかブルース、と名前がついてる曲は多くが偽物ブルースですが、「伊勢佐木町ブルース」は本物のブルーズなんですね。
これは楽曲がブルース形式をふんだんに盛り込んでいること、そして青江三奈の声質と歌唱がが完全にブルーノートに乗っているからです。もうあの有名なスキャットが耳から離れません。

一層味わい深いのが、全編をリードする硬質なベースギターであります。この音は誰もが知っているあのGS(グループサウンズ)のベーシストが弾いているのです。そしてこの人こそが60-70年代歌謡曲で活躍した影の大物なのです。

さて右は6年前ヨコハマを巡礼した時の写真です。もはや現代の伊勢佐木町には川内康範が描いた大人の街の面影はありません。名曲を記念した歌碑がひっそりと建っていました。 (院長)

 

←前の記事「ビートルズとCTスキャン」 「江藤勲さんのベース」次の記事→

2018年

2月

21日

ビートルズとCTスキャン

壁の飾りをかえました。ビートルズ Ticket to ride/ Yes, it is 1965年 前回と同じ東芝音工です。

右の写真はハウンズフィールド卿(Sir Godfrey Newbold Hounsfield 1919-2004)、 CTスキャンの発明者の一人です。彼は英国Electrical and Musical Industries (EMI)でコンピュータ断層撮影の開発研究を行い、ついに1971年CTスキャンを実用化させました。1979年ノーベル医学生理学賞を受けています。EMIは音楽ファンならご存知の通りビートルズのレコードを出していた会社です。当時EMIはビートルズで稼ぎまくった資金を元にCTの研究開発費に回すことができたと言われています(1)。CTが医療に与えた恩恵は計り知れません。なにしろカラダの中身が見えてしまうのですから!革命的であったことでしょう。このCTの誕生にビートルズが貢献していたのです(2)。なお、日本のCTは、EMIと「音楽で」提携していた東芝が輸入し1975年東京女子医大が導入したのが始まりとされています。

 

参考文献 (1) Oransky I. "Sir Godfrey N. Hounsfield". Lancet. 2004;364:1032.

 世界的医学誌LancetでSir Hounsfieldの追悼記事にCT開発の経緯が掲載されています。

(2) Maizlin ZV1, Vos PM. "Do we really need to thank the Beatles for the financing of the development of the computed tomography scanner?" J Comput Assist Tomogr. 2012;36:161-4

 近年の研究で、CT開発研究費はEMIの6倍以上も英国保健省が出していた、だからCT開発とビートルズは関係ないんじゃないか?という検証があります。でもビートルズの活躍でCTができたと思った方が夢がありますよね。

 

←前の記事「癪って何の病気?」 「貴方知ってる?このベース音」次の記事→

2018年

2月

07日

癪って何の病気?

壁の飾りをかえました。

クレージー・キャッツ「こりゃシャクだった」詞 青島幸男、曲 萩原哲晶 昭和36年
 「癪」は腹や胸の激痛、さしこみ、のこととあります。西洋医学が入る前の言葉です。時代劇や時代小説で「持病の癪が」なんて言いますね。痛みといっても胸腹部全般だから範囲が広すぎます。胆石発作、胃潰瘍、狭心症、心筋梗塞、肺塞栓、はたまた大動脈解離まで鑑別診断に含まれるので初療医は困りますね。
 「癪に障る」は腹が立つこと、これが転じて「シャクだ」は腹がたつことを表します。そういえば「シャクだ」って関西では使いませんね。

 さて、この曲は有名な「スーダラ節」のA面です。 演奏・歌・録音の3つ揃ったジャズの名作だと思います!このバンドの演奏、見事にスウィングしています。大瀧詠一さんが「このバックの演奏は、当時日本のジャズ演奏者のレベルが相当に高かったことを表している。即ち、日本のジャズは戦後米軍がやってきて一朝一夕で隆盛したのではなく、戦前ジャスから連綿と続いたからこそ、これだけレベルが高かったのだ」と解説されていました(1)。
 植木等の歌唱は開放感にあふれ、乗りにノっています。そして録音が素晴らしい。モノラル録音なのにまるで目の前で植木等が躍っているようです!当時の東芝の録音技術の高さが実感できます。一度、ステレオ再生装置でスピーカーを2m離してできれば大音量でお聴きください。  (院長)

 

(1) 大瀧詠一「大瀧詠一の日本ポップス伝 第5回」NHK-FM 1995.8.11放送

 

←前の記事「他人の空似」 「ビートルズとCTスキャン」次の記事→

2018年

1月

10日

他人の空似

あけましておめでとうございます。寒い日が続きますね。壁の飾りです。
吉永小百合さん「寒い朝」(昭和37)と宝塚歌劇月組トップスターの珠城りょうさん「All for One」(平成29)。並べると何だかいろんなところが似ています。不思議ですね。実際のお二人はそれほど似ていないから、歌劇の写真を撮った人はこのレコードを頭に浮かべながら撮影したのではないかと想像してしまいます。

寒くなりインフルエンザなどの感染症が増えてきました。皆様、御身体にお気をつけください。 (院長)

 

←前の記事「思い出の紅白歌合戦」 「癪って何の病気?」次の記事→

2017年

12月

19日

思い出の紅白歌合戦

壁の飾りをかえました。年末にふさわしい曲です。
森進一「襟裳岬」 作詞 岡本おさみ、作曲 吉田拓郎
第25回NHK紅白の大トリの曲です。
昭和49年の大晦日、眠いのを我慢して始めて最後まで紅白を見たのを思い出します。

記録を見るとこの年は豊作で、初出場だけでもこんなに名作揃いです。
 山口百恵「ひと夏の経験」  西城秀樹「傷だらけのローラ」
 桜田淳子「黄色いリボン」  中条きよし「うそ」
 あべ静江「みずいろの手紙」 殿さまキングス「なみだの操」
 ペドロ&カプリシャス「ジョニィへの伝言」 海援隊「母に捧げるバラード」
 小坂明子「あなた」 渡哲也「くちなしの花」
ついでに山川静夫アナウンサーが初の白組司会!(注1)
「青春の旅は遠く哀しく、いつか思い出の海へと還ってゆきます。1974年のさすらいの記憶をこの一曲に込めて、森進一、白組の襟裳岬(注2)を聴いていただきましょう」と山川アナウンサーの名調子で森さんが登場しドラマチックに歌います。そして藤山一郎先生指揮する「蛍の光」でフィナーレでした。
この頃の紅白は豪華でした、演奏は生オーケストラでしかも紅白に一組ずつ付き、衣装は女性はドレスか着物、男性はタキシード・フロックコート・燕尾服の洋礼装や羽織袴で華やかさを競いましたね。(院長)

 

(注1)紅組司会は佐良直美さん
(注2)同年は紅組のトリも「襟裳岬」という同名の別の曲でした。島倉千代子さんが歌いました。
(参考文献)合田道人「怪物番組 紅白歌合戦の真実」幻冬舎 2004

 

 ←前の記事「幸せの左富士と右富士」 「他人の空似」次の記事→

2017年

11月

01日

岩谷時子の世界/ピンキーとキラーズ恋の季節

壁の飾りをかえました「恋の季節」ピンキーとキラーズ 昭和43年
作詞 岩谷時子 作曲 いずみたく 昭和43年のレコ大新人賞、第19回NHK紅白出場曲
子供の頃は黒服・パンタロン・山高帽・ステッキの姿が面白くて、踊りを真似したものです。若い時分は曲のアンサンブル、特にベースとフルートとコーラスが好きでした。
大人になってからは、岩谷時子の詩の世界に引き込まれました。僕は文学がかなり苦手なのですが、岩谷さんの詩をきくと、研ぎ澄まされた少ない言葉で描かれる世界に素直に感動するのです。分析的に表すのは野暮と承知で申しますと、その言葉を用いることで、附随する景色なり状況が空間的・時間的広がりをもって自動的に浮かぶ、そんな言葉が置いてあるのです。
言葉を選ぶ感性が尋常ではありません。ご本人は「一行でも二行でも、もっと良い言葉に直せないかと思って毎日過ごしているわけですから」と語っていたそうです(1)。

(院長)

(1)田家 秀樹 「歌に恋して 評伝 岩谷時子物語」武田ランダムハウスジャパン (2008)

 

←前の記事「いいじゃないの 幸せならば」「少女マンガが教養だった頃」次の記事→ |最新ブログ記事→

2017年

10月

18日

いいじゃないの 幸せならば

壁の飾りをかえました。

「いいじゃないの 幸せならば」昭和44年 歌 佐良直美、詞 岩谷時子、曲 

いずみたく。昭和44年のレコード大賞受賞、第20回NHK紅白出場曲です。
この年からレコ大は大晦日開催になり、レコ大から紅白への会場移動が始まります。この年の会場はレコ大は日比谷帝劇、紅白は東京宝塚劇場でした。48年から紅白は渋谷NHKホールに移ります。

さてこの歌は、岩谷時子の詩世界が聴きどころであります。刹那的な虚無感を表現した歌詞が大人っぽくて深いです。そして歌う佐良さん、この人は顔が無表情でニヒリスティックな雰囲気があり、よくマッチしていますね。
平成の現代と異なる、この時代独特の空気が伝わってくる曲です。後世「時代の雰囲気が、抑制された曲調や演奏、歌唱と一体化されてクールに醸し出されている。」などと紹介されています(1)。この頃国内では学生運動、海外ではベトナム戦争などあり、虚無感と厭世感があふれていたのでしょうか。

単純な僕は「色々あったかも知れんけど、まあええんちゃいますか、今本人が幸せやったら」くらいにとらえてしまうのです。(笑)        (院長)

(1)高 護 (2011) 歌謡曲-時代を彩った歌たち.岩波書店, pp.74-8

 

←前の記事「腕の傷痕で年齢がわかる~」「壁の飾り 岩谷時子の世界」次の記事→ |最新ブログ記事→

2017年

9月

20日

腕の傷痕で年齢がわかる~予防接種に歴史あり

レコードを見ていて気付いたことがあります。
ランちゃんとスーちゃんの左腕に傷痕が写っています。ある世代なら、種痘かな!と思い浮かべるでしょう。でもよく考えると違うのです。
種痘は恐ろしい感染症・天然痘を防ぐ予防接種です。明治42年以来種痘を義務化した結果、天然痘は激減し、昭和31年以降国内の発症はなくなりました。昭和51年に種痘義務化は中止、昭和55年世界中の天然痘が撲滅され種痘は廃止されました。
1歳と6歳頃に接種しますから、昭和49年以前生まれは痕があり、昭和50年以降生まれの人にはないことになります。ですから種痘はよく年齢当てに使われます。

ただ例外を除き右腕接種だった(1)ので、この場合左右が違います。
では写真の傷痕は何か?。他に腕に痕を残す予防接種といえばBCGです(2)。調べてみると、昭和42年より前は皮内注射で左上腕に接種していたことがわかりました(3)。これは種痘に似た円形痕が残ります。そして昭和42年以後は現在と同じ管針法、9個の点状痕が残るいわゆるハンコ注射にとってかわったのです。
伊藤蘭さんは昭和30年、田中好子さんは昭和31年生まれ、左腕の痕はBCG皮内接種なのでしょう。そして写真に写っていない右腕には種痘の痕があるはずです。

予防接種にも歴史がありますね。(院長)

 

(1)接種部位は厚生省「予防接種実施規則」で昭和33年「右上腕伸側又は右肩部」、その後昭和39年に「原則として右上腕伸側」と決められていました。それ以前も同様に行われていたと推測できます。
(2)BCGは結核予防を目的としたワクチンです。
(3)厳密にはBCGの接種部位は「上腕」とされ、左右指定はありませんでした。種痘が右腕指定なので自動的にBCGは左腕になったのでしょう。

 

←前の記事「江戸時代の感染症」|「いいじゃないの幸せならば」次の記事→ | 最新ブログ記事へ→

2017年

8月

23日

夏休みも もうすぐ終わりですね

「夏休み」 吉田拓郎 昭和46年発表

クリニックの壁の飾りをかえました。

みなさま今年の夏はいかがお過ごしでしたか。楽しかったですか。

拓郎さんの「夏休み」は夏の終わりに聞きたくなりますね。

楽しかった夏休みを思い出してください。(院長)

 オリジナルはライブ・アルバム「よしだたくろう オン・ステージ ともだち」昭和46年収録、スタジオ録音はLP「元気です」昭和47年収録、写真のEPレコードは後年昭和53年の再発版EPです。

 

←前の記事「暑中お見舞い申し上げます」次の記事「江戸時代の感染症」→最新ブログ記事→ 

2017年

7月

19日

暑中お見舞い申し上げます

暑中お見舞い申し上げます
昭和52年6月発表、この後すぐ7月17日キャンディーズは解散宣言をします。

あんなに人気なのに何で辞めるんやろ?と、不思議に思ったことを覚えています。

「普通の女の子に戻りたい」を理解するには小学生ではまだ早かったのですね。

 

暑さ厳しき折、皆様の御健勝と御自愛をお祈り申し上げます。 (院長)

 

←前の記事「梅雨らしくなってきました」次の記事「夏休みももうすぐ終わりです」→最新ブログ記事→

2017年

7月

05日

梅雨らしくなってきましたね 雨の御堂筋

雨が多くなりようやく梅雨らしくなってきましたね。壁の飾りをかえました。
「雨の御堂筋」 欧陽菲菲 昭和46年 作曲はベンチャーズです(1)
大阪のキタとミナミを結ぶ御堂筋は街路樹と高さの揃ったビルの美しい街並みで有名です。ここが南向き一方通行になったのは昭和45年、この歌の1年前です。だから「あなたをたずねて南へ歩く」(2)のは当時新しい感覚だったことでしょう。

欧陽のたどたどしい日本語がエキゾチシズムを醸し出し、大阪なのに泥臭くないモダンな街の雰囲気を感じさせます。
その1年前昭和44年には大阪市電が全線廃止、阪急梅田駅宝塚線が現在の高架ホームに移転(3)。万博を機に大阪の風景が着々と変化する時代の歌です。(院長)


(1)純粋米国人なのになぜか日本的メロディーを編み出す、ベンチャーズ歌謡と呼ばれています。
(2)夜の御堂筋を南向きに歩くと、赤色のテールランプが無関心に次々横を過ぎ去ります。交差点にはずらっと光の溜り場ができます。6車線一方通行のなせる情緒的光景です。両側通行や北向きだとこうは行きません。
(3)昔、梅田駅は今の阪急百貨店1階の場所にありました。

 

←前の記事「若き日の東海林太郎」「暑中お見舞い申し上げます」次の記事→ | 最新ブログ記事へ→

2017年

6月

21日

若き日の東海林太郎

東海林太郎 「上海の街角で」 昭和13年
先日、あるクラシック音楽の大家の先生と古い歌謡曲についてお話しする機会に恵まれました。先生は「僕は昔、東海林太郎が好きだったね」と仰いました。
そう、院長もよく聴いたものです。東海林太郎さんは甘く透き通った声で情感たっぷりに歌い上げる歌唱が魅力です。とくに、澄んだ高音から一気に低いバリトンへ切り替わる歌い回しは聴かせどころです。

東海林さんは、満鉄に就職するも音楽への夢を捨てきれず退職、アマチュアとしてクラシック声楽家を目指し、昭和8年日本音楽コンクールで入賞。その後流行歌に転向しました。ホワイトタイの正装に直立不動で熱唱する姿が印象的でした。真剣勝負で歌と対峙するためだそうです。こんな歌手はもうでてこないのでしょうね。

前の歌手なんて何のこっちゃわからない皆様へ;写真左の眼鏡のかたが東海林太郎さんです。右は映画俳優 佐野周二さんで、関口宏さんの父上です。この曲は男女の恋の歌なのですが、間奏で軍国主義を思わせる台詞が不自然に挿まれています。歌詞が軟弱であると当局から目をつけられたためではないかと言われています。昭和13年という時代を反映していますね。

 

←前の記事「その頃 地球の裏側では?ジリオラ・チンクエッティ」「梅雨らしくなってきましたね雨の御堂筋」→最新ブログ記事へ→