あの素晴しい愛をもう一度

壁の飾りをかえました。

「あの素晴しい愛をもう一度」昭和46年作詞:北山修 作曲:加藤和彦

 院長が中学高校のときにはこの曲から既に10年近くたっていました。音楽教科書に採用、合唱コンクール課題曲、という時点でダサい(1)と思っていましたから、きちんと聴いておりませんでした。大人になって改めて聴くと本当にいい曲なんですね。北山修先生そして加藤和彦さん(2)ごめんなさい。

 しかしよくよく聴くと結構悲しい内容の歌詞です。こんな悲しい歌がなぜ教科書に取り上げられ多くの人が合唱したかったのか、歌詞の意味が分かる大人になってからの不思議です。

 歌詞の一部に「あの時同じ花を見て 美しいと言った二人の 心と心が今はもう通わない あの素晴しい愛をもう一度」とあります。調べてみると北山修さんは歌詞に込めた思いを次のように語っておられます。

 

 ”この詩は恋愛とか青春とかを描いたというよりは、日本が大事にしてきた横のつながりの文化を描いた歌です。連帯感とも言い換えられるかな”

 ”この国の人たちは、同じものを肩を並べて一緒に眺める横の愛を好みます。お花見や紅葉狩り、花火もそう。同じ景色を見て、みんなで『きれいだね』って確かめるのが好きなんですよね” (2021.2.10 中日新聞より)

 

 ”「愛」には、「あの時同じ花を見て 美しいと言った二人の」という歌詞がかかってきます。これは、日本的な「横並びの愛」なんです。”

 ”たとえば日本の絵画では、母子が肩を並べて花を見る構図が多い。小津安二郎の映画『東京物語』も、最後は原節子と笠智衆が横並びで海を眺めるシーンで終わります。”

 ”お互いに見つめ合って、お前のことが好きだよ、と言う愛とはちょっと違う。横に並んだ関係の中で生まれる、日本的な愛を詞にしたのです。” (2020.2.10週刊現代より)

 

 引用ばかりですみません。実に良い言葉だなあと感銘を受けたので、まとめずそのまま転載させていただきました。なお院長はゴリゴリ昭和日本のオヤジですからこの話も歌も本当に心に沁み入ります。

 悲しいストーリーの歌詞に対し、楽曲はフォークの3フィンガーギターが淡々とメロディーを刻みます。こんな悲しい思いなのに何もなかったかのように日常は過ぎていく(3) という風情でますます悲しくなってしまいます。

 皆様機会がありましたらぜひこの名曲を味わってください。 (院長)

 

(1)当時関西には「ダサい」という言葉はありませんでした。標準語の「カッコわるい」または京都弁から転用で「モサい」と言ってたような気がします。

(2)北山修さんは当時京都府立医科大の学生、卒後精神科医として活躍、九州大学の教授まで務められました。加藤和彦さんはアーティスト、作曲家、プロデューサーとして活躍されましたが2009年に早世されました。

(3)このように感想を書いていたら本曲が映画「パッチギ」のエンディングでまさにその通りの使われ方をしていました!「パッチギ」では加藤和彦さんが音楽監修をされていました。

 

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