壁の飾りをかえました。ザ・ピーナッツ「ウナ・セラ・ディ東京」昭和39年、作詞:岩谷時子 作曲:宮川泰、編曲:東海林修
勝手にシンドバッド」は「ザ・ピーナッツの『恋のバカンス』のような曲調をイメージして作った」と桑田さんが話していたということですが、私はこの歌の方が近いような気がします。
ザ・ピーナッツのハーモニーも素晴らしいし宮川泰さんの曲もいい。そして何より岩谷時子さんの歌詞がほんとうに感動するのです。最後の段「街はいつでも後ろ姿の幸せばかり ウナセラディ東京」これが心に刺さるんですよ。この最後の文句が追加されることでこの歌は心情と空間と時間の奥行きが広がるのだと思います。
ところが色々調べてみると、この名文句は岩谷さんが即興で苦し紛れに作ったというのです。この曲はもともと昭和38年「東京たそがれ」という題で録音・発表されたのだそうです。昭和38年9月25日東京の文京公会堂で録音する際になって、宮川さんが楽譜をアレンジし最後の段(Aメロ)6小節を追加したのです。当然歌詞がたりなくなってしまい、その場で岩谷さんが急遽6小節分作詞することになったのです。今にも雨が降りそうな夕方、楽団を待たせて、作詞に困ったなあとロビーからガラス窓越しに外をみると、若いサラリーマンの白い背中が見えた、それが輝いて見えた、これをもとに「街は後ろ姿の~」という歌詞を思いついたのだそうです。岩谷さんは「でたらめに出した言葉なんですけど」と述懐されていました(1)。
それにしてもこんなことがあったとは知りませんでした。即興でこんな至高の詞を編み出せるとは岩谷時子さんの言葉のセンスは超越していますね。
初版の「東京たそがれ」はちょっとモッタリしていて目立たずヒットしませんでしたが、イタリアの歌手ミルバがカバーして注目を浴び、ザ・ピーナッツも東海林修さんでアレンジしなおし題名を「ウナセラディ東京」として昭和39年再発売したところ大人気になったということです。他にマヒナスターズや西田佐知子さんも同曲を発表し皆さん持ち味を出しておられます。
皆様、昭和の名曲「ウナセラディ東京」ぜひ聴きなおしてみてください(2)。
2021/09/15(院長)
(1)2007年のNHK番組で岩谷時子さんが話されている映像があります。なお最後の文句は元々「one night in Tokyo」だったのですが、当時カンツォーネが流行っていたのでディレクターの発案でイタリア語「una sera di Tokio」にかえたそうです。確かにイタリア語の方がいいですね。
(2)レコード録音バージョンもよいですが、院長お勧めは昭和44年紅白出場の名演を聴いていただきたいです。