カテゴリ別一覧 「読書」

2022年

1月

19日

スイングジャズと歌謡曲 銀座カンカン娘

SPレコードは壁に飾ってもどうも写真映えしないので今回はレコードの写真と参考図書(1)だけです。

高峰秀子「銀座カンカン娘」昭和24年 作詞:佐伯孝夫、作曲:服部良一

 もうね服部先生は日本の流行歌にジャズを取り入れたJポップの先駆者です。戦後の服部ジャズといえば「東京ブギウギ」をはじめとした笠置シヅ子作品が有名です。笠置さんは歌のキャラクターが濃すぎパワフルすぎて(大阪人です)、意外とスイングジャズのド真ん中ではないものが多いと感じます(2)。

 院長は笠置シリーズも好きですが、昭和24年「銀座カンカン娘」の王道スイング・サウンドが好きですね。(王道と言いながら弦楽器も入ってるけど) 平和が訪れて前向きで明るい感じの楽曲です。

ビッグバンドをウマく鳴らせているんです、バックの和音は7th、歌もバックもブルーノート(3)を効かせて、フルスイングしてます。とくに間奏なんか10秒くらいしかないんですけどカッコいいんですよ。

 この曲は新東宝の映画「銀座カンカン娘」の主題歌です。映画を見ますと高峰秀子さん(デコちゃん)が本当に可愛いんですよね。笠置シヅ子さんや灰田勝彦さん(4)、古今亭志ん生さんも共演していて豪華です。そして高峰さんの歌唱ですが歌い上げる、というより語りかけられているように聴こえるんですよね。他の大物歌手によるカバー曲を聴いてもなぜかこうはいかないのです。やはり高峰さんは女優さんの発声だからなんでしょうか?

 さて昭和24-25年頃を境にスイングジャズ系の歌謡曲は徐々に少なくなってきます。昭和27年にサンフランシスコ講和条約が発効し、進駐軍は「占領軍」から「駐留軍」にかわり規模が縮小します。当然進駐軍クラブのジャズ音楽需要も減るわけです。加えてすでに米国でのジャズの潮流がスイングからビバップそしてモダンジャズへと変わってきました。

 皆様、古い曲ですが服部スイングの名曲をぜひもう一度お聴きください。

2022/01/19(院長)

 

(1)菊池清麿「評伝 服部良一: 日本ジャズ&ポップス史」彩流社, 2013。服部良一を通じて日本の大衆音楽の通史。物語としても史料としても読み応えあり。著者の菊池氏は日本歌謡曲の研究家。

(2)笠置さんに力量がありすぎるために結構実験的楽曲を提供しているんじゃないかと想像します。

(3)ブルーノート:3度、5度、7度の音を半音低くする(♭フラット)とブルース的になる。3度はドから見てミの高さの音、5度はソ、7度はシ。

 銀座カンカン娘の歌詞で言うと「赤い(ブ)(ラ)ウス」「時計なが(め)て」「これがぎ(ん)ざの」=以上()内が5度♭、「カー〈ン〉カ〈ン〉娘」=〈〉内が3度♭でこれがブルージー=ジャズっぽい雰囲気を出すのに役立っている。

(4)灰田勝彦さんはこの曲コーラスにも参加されています。「鈴懸の径」も参照。

 

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2019年

8月

14日

夏の読書 昭和を考える8月

8月は昭和を考える月です。「蠅の帝国」帚木 蓬生 著 は軍医として戦地へ赴いた医師達の壮絶な体験を15の短編として構成した話です。当時、多くの医師達が軍医に徴用され戦地で傷病者の診療に当たりました。薬も器具も食糧も衣料もすべてがない。医者から薬と道具を取り上げられたら何もできません。目の前で兵士が死ぬのを見守るしかない。悔しかったでしょう、辛かったに違いありません。そんな中、軍医の最重要かつ最後の任務は、兵の戦死を確認し記録を日本に持ち帰ることでした。

 

厳しい暑さが続きます。皆様くれぐれもお身体にお気を付けください。 (院長)

 

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2017年

11月

21日

少女マンガが教養だった頃

不思議なことに、私が中高生だった頃、「少女マンガを知っていることが教養」とみなされていました。自分の学校だけかと思っていたら、意外にも超進学校灘高出身の先輩も同じだったのです。あの時代全国で散発的にそんな空気があったのでしょう。
漢籍、文学、哲学を根幹とする昔からの教養主義が昭和40年代に衰退し、代替教養としてのサブカルチャーが浸透しはじめた時期だったのではないかと推察しています。
調べてみますと、昭和49年の宝塚歌劇「ベルばら」(写真右)を契機に少女マンガへの世間の注目が高まり、当時アンダーグラウンドだった文学性の高い作品群(萩尾望都、竹宮恵子、大島弓子、岡田史子etc)が評価されました。少女だけのものであった少女マンガは文化として発掘され広く読まれるようになったのです(1)。私も当時せっせと古本屋に通ってマンガを探しましたよ。文学はまるっきりダメでしたけど。
新しい表現法と難解なテーマで考えさせる文学系作品が増える一方、その揺り戻しとしてわかりやすいドラマチックな物語に回帰する動きもありました。ちょうどその代表が「ガラスの仮面」(昭和51年、写真左)と位置づけられます。
当時もそうでしたが今読んでも大げさな話と画表現でドラマチックすぎるところが魅力です。TVでも特集していましたがあらゆる心情を白目で表現してしまうのも美内すずえ先生の味であります。読み始めるとやめられないんですよね。 (院長)

 

参考(1)米沢嘉博 「戦後少女マンガ史」第7章-70 1980年初出

 

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2017年

3月

22日

最近の読書「歴史で見る不整脈」感動もの!

「歴史でみる不整脈」原著:Berndt Lüderitz 訳:中尾葉子 医学書院

心電計を発明したアイントーベン(アイントホフェン)、房室ブロック研究のヴェンケバッハ、世界初の心臓カテーテルを自分の体で実験したフォルスマン、日本からは房室結節をみつけた田原淳、などなど、循環器のヒーロー列伝です。
当時の心電図、論文の写真が多数掲載されていて、見るたび胸が熱くなります(涙)。

この先生達がいたから、現代の医療があるのですね。
 感動の書籍でした。同業の皆様方、お勧めです!(院長)

 

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2016年

3月

02日

「ブラック・ジャックは遠かった 阪大医学生ふらふら青春記」 久坂部 羊 著

筆者の久坂部羊先生は昭和56年卒、私より15年上の大先輩です。外科医から文筆家になられました。
書店で表紙の絵が目に飛び込んできました。阪大の校舎や学生の雰囲気は、私たちの頃もまさにこの絵の感じでした。

私の学年はちょうど医学部移転に重なり、3年生の専門課程から吹田の新校舎に移りました。中之島校舎を知るほぼ最後の学年でした。

作品の中で筆者の阪大時代の思い出が生き生きと描かれています。授業のサボリテクニックを含め「そうそう!」と首肯する箇所が多くあり、あの頃の阪大の自由(放任?)な空気が蘇ってきます。卒後の研修医時代、辛い目に遭い、悔しい思いをし、医者として成長してゆく姿も自分の体験と重なり共感しました。(院長)