母校の思い出話「鈴懸の径」

壁の飾りをかえました。鈴木章治とリズムエース「鈴懸の径」作曲:灰田有紀彦

 読み方は「すずかけのみち」プラタナスの並木道という意味です。

原曲は昭和17年灰田勝彦さんが歌いました(写真4)、後年クラリネット奏者の鈴木章治さんがスイングジャズにアレンジして人気が出て昭和32年にレコード化されました。灰田勝彦さんの母校、立教大学には鈴懸の並木道があります。歌の内容は、母校の並木道を歩いた学生時代を懐かしむというものです。

 院長はこの曲を聴くと母校の阪大(1)を思い出します。医学部の前に長い並木道があって(2)(写真2,3)、プラタナスでなくケヤキだったと思います。秋と冬は紅葉が、夏は緑が、春には桜が咲いて美しい小径でした。

 さて医者の業界話です。ほとんどの医者は大学という場に対して特別な感情を持っています。他学部の大部分の人にとって大学とは一時の通過点であって、卒業して社会人になればそちらがホームグラウンドとなり気持ちの上でも大学とは縁が切れます。でも医学部はとにかく大学とべったりなのです。学部6年、卒後研修で2年から5年、大学院で4年、他に研究生などで数年。そのうえ学内に残って就職なんてしたらトータル何十年も在籍することになります。いつまでたっても大学にいる感覚で、気が付いたら人生の半分くらい大学です。単に授業に出て試験受けて卒業資格をとるだけの所でなく、十何年も世話になって人生を過ごす場です。ある意味実家とか故郷みたいな感覚です。もちろん短期で大学を出て外の病院で修業する先生もいらっしゃいます。

 私は平成2年入学、平成25年に大学を退職しましたから、23年間もダラダラと大学人生でした。退職して診療所を開業したときこれで大学を「卒業」したんだなと思いました。ずっと大学に守られていたから外に出てはじめは不安でしたね。辞めて5年ほど経ってようやく大学の色が抜けてきたと感じるほどでした。そして最近ようやく大学のことを懐かしいなあと思うようになりました。

 昔の阪大はかなり放任主義でしたから、いい加減でデキの悪い私でも卒業させてもらえました。その後も嫌なこと苦しいこともあったけれど、うれしいこともいいこともたくさんありました。良いと友達と先輩後輩にも出会えました。自分を育ててくれお世話になった大阪大学に本当に感謝しています。

「鈴懸の径」郷愁のクラリネットを聴くといつもあの並木道が眼に浮かびます。(院長)

 

(1)関西人は大阪大学のことを阪大(はんだい)と呼びます。大学1-2年は阪急石橋、3-6年は吹田キャンパス。

(2)東西まっすぐの道で附属病院(写真2)から医学部事務棟、講義棟、図書館まで連なっているのです。

講義をサボって外でタバコ吸ったりおしゃべりしたり、試験対策のプリントをもらったり、ここでいい友達にも出遭えました。あの頃はのんびりしていました。

 

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