壁の飾りです。LP「新宿の女~“演歌の星”藤圭子のすべて」昭和45年。
藤圭子さん当時まだ18歳。今聞きなおすととんでもない歌ウマの超絶的な表現力です。
「演歌」ということばが現在の意味で使われ始めたのはちょうど昭和45年頃からで、実は新しい言い方です。また、演歌的な曲が大量生産され始めたのも昭和45-50年頃からです。「演歌」はレコード会社やTVメディアなどがプロモーション目的に創り出した記号・キーワードでした。このことは日本の流行歌の歴史を順に検証するとよくわかります。だから「演歌は日本の心」なんて言われますが、元は商業目的の虚像だったのですね。
なお院長は「演歌」はどちらかというと苦手ですが、藤圭子さんの歌唱は純粋に歌として感動します。divaです。(院長)