2018年

12月

19日

港町ブルース

壁の飾りをかえました。
森進一「港町ブルース」昭和44年 作詞:深津武志・なかにし礼、作曲:猪俣公章
昭和44年第20回NHK紅白の白組トリの曲です(1)
柳ヶ瀬ブルース」がヒットした昭和41年頃から、地名を盛り込んだ「ご当地ソング」が流行り、いろんな町の歌が作られました。森進一さんの「港町ブルース」もその一つで、北は北海道函館から南は鹿児島県枕崎まで日本の港町がてんこ盛りです。
さてこの曲の聴かせどころは何といっても森さんのむせび泣きサックス唱法でしょう。後年森さんに曲を書いた大瀧詠一さんは「みィィなとおォー、ってこれサックスのブロウでしょ」と解説されています。当時はむせび泣きサックスが大変流行していて「柳ヶ瀬ブルース」や青江三奈の「恍惚のブルース」等が代表、洋楽ではサム・テイラーの「ハーレム・ノクターン」が人気でした。サックスはムーディーな効果を上げるのに使われたのです。(2)「バック(の演奏)が最初はむせび泣いていたわけなんですけど、で本人がむせび泣いて、一緒になって」(3)というわけで森進一さんの歌唱はサックスの演奏からきているという説でした。なお、後年の森さんの「港町ブルース」を聴くとあっさりしているのです。やはりこの時代特有の流行だったのでしょう。

 

皆様、よい年末年始をお過ごしください。 (院長)

 

(1)森さんは紅白2回目で白組トリ!なお大トリは紅組 美空ひばりさんです
(2)「なんせね、このむせび泣きのサキソフォンが当時流行ったんですよ」「ハーレムノクターン、笑うの日本人だけなんだよ」日本ではなぜか必ずムードあふれる色っぽい場面で使われるため、日本人はこの曲を聴くとニヤニヤしてしまうと解説。 NHK-FM 大瀧詠一の日本ポップス伝2 第2回(1999年1月5日放送)より
(3)大瀧さんは、ムードを盛り上げるため「サービスを濃く」しようとした、と解説しています。

 

←前の記事「クリスマスの飾りつけ」次の記事「ふりむかないで」→ 最新ブログ記事→

 

2018年

12月

05日

クリスマスの飾りつけ

クリスマスの飾りつけをしました

写真1枚目コルクのリースは事務長が手作りしました。第1診察室、レコードジャケットの向かい側の壁に飾っております。2枚目のリースは待合室から診察室へ向かう通路の壁に、3,4枚目の飾りは受付の棚です。

 

そろそろインフルエンザが流行し始めているようです。

皆様、感染予防にじゅうぶんお気をつけください。   (院長)

 

←前の記事「柳ヶ瀬ブルース」次の記事「港町ブルース」→ |最新ブログ記事→

2018年

11月

21日

名曲誕生の条件 柳ヶ瀬ブルース

壁の飾りをかえました。

美川憲一 「柳ヶ瀬ブルース」昭和41年 作詞・作曲 宇佐英雄

 美川さんは大映ニューフェース第17期(昭和39)で芸能界入り(1)、俳優志望から青春歌謡路線を目指していました。会社からムード歌謡の「柳ヶ瀬ブルース」を提示され本人は歌いたくなかったそうです。嫌々歌ったのがかえってクールな感じを醸し出し(2)この曲の雰囲気にぴったり合ったのです。120万枚の大ヒットだったと言います。
 名曲というのは、その時のいろんな条件が偶然重なってできるものです。宇佐さんの曲が採用された経緯(3)、美川さんのニヒリスティックな歌唱。他の誰が歌っても、また本人でも今やこの感じが出ない(4)。演奏も、サム・テイラーばりにむせび泣くサックスに三連符のバックとこの時代の雰囲気をよく出しています。この瞬間しかできなかった神がかり名曲です。
 当時の柳ヶ瀬は大変な繁華街だったそうです。院長は歌謡曲の聖地巡りが好きで、現代の柳ヶ瀬に訪問しましたところ、もうすっかり寂れていました。商店街の路面に「柳ヶ瀬ブルース」の歌碑が埋め込まれていました。 (院長)

 

(1)「釧路の夜」で第19回NHK紅白歌合戦(昭和43)に初出場した際、白組司会の坂本九さんが「大映のニューフェイス」「僕よりちょっとハンサムな美川さん」と紹介しています
(2)「デビュー当時の私は「しゃべらない」「動かない」「笑わない」の「三ない歌手」といわれていて物静かだった。」週刊ポスト2015年インタビューより

(3)宇佐英雄さんは伊豆長岡をテーマにしてこの曲を作り、流しで歌っていたところ、たまたまクラウンレコードの目に留まり採用され、岐阜市の歓楽街柳ヶ瀬をテーマに書き換えたそうです。
(4)藤圭子さん、青江三奈さんの歌もいいですがちょっと違う。また後世の美川さんの歌唱ではこの寂寥感は出ない。オリジナルが断然良いと院長は思います。ギター木村好夫さんの演奏はかなりオリジナルに近い世界観です。

 

←前の記事「桑田佳祐さんがGSに捧げるオマージュ」| 次の記事「クリスマスの飾りつけ」→ 最新ブログ記事→

 

2018年

10月

31日

桑田佳祐さんがGSに捧げるオマージュ

 壁の飾りをかえました。

 ジューシィフルーツ「そんなヒロシに騙されて」昭和58年 詞・曲 桑田佳祐 
高田みずえ、サザンオールスターズと競作で発売されました(1)。ピンクのグレコギターを抱えたボーカル&ギターのイリアさん、かわいいですね。

 さてこの曲は出だしが前回ブログの「スワンの涙」と同じであることは有名です(2)。エレキギターはリバーブサウンドにテケテケやホイッスル奏法など。沖山さんのベースはGS時代の典型的ベースライン(3)。GSの良いとこ取り的な音作りです。これは桑田佳祐さんがGSに捧げたオマージュといってよいでしょう。

 奇しくも同じ昭和58年YAMAHAがデジタルシンセサイザーDX-7を開発上市しています。操作が複雑で専門職のものであったアナログシンセ時代から、誰でも扱えるデジタルの時代を拓いた画期的モデルです。プロアマ問わず世界中で使われました。一つのテクノロジー進歩で音作りが変わった例と言えるでしょう。ちょうどこの頃、ギターよりキーボードがバンドの花形だった時期がありました。その後ユーロビート、テクノなど新しい表現を経て多様性豊かなJ-POP時代に継がれます。

 そう考えればこの昭和58年は転換期であったかもしれません。知ってか知らずか、桑田さんがGSに捧げたオマージュは、同時に旧時代サウンドへの挽歌にもなっていたのです。  (院長)

(1)高田みずえさんはこの曲で第34回NHK紅白歌合戦に出場。サザンはアルバム「綺麗」に収録。
(2)John Wetton の Caught In The Crossfire にも似ているともいわれますがこちらは1980年。曲作りの意図から見てやはり昭和43年「スワンの涙」を意識したと考えるのが自然でしょう。
(3)The Beatlesのタックスマンという曲のベースラインが当時GSの曲に盛んに取り入れられました。

 

 ←前の記事「失神といえば」次の記事→「名曲誕生の条件 柳ヶ瀬ブルース」最新ブログ記事→

2018年

10月

17日

失神といえば オックス スワンの涙

たまには医療の話もしましょう。
失神したと患者さんから聞くと、医者は脳よりも心臓(不整脈)を心配します。失神は脳全体に血が行かなくなることで起こる意識消失症状です。原因で多いのは神経調節性失神といって良性のものですが、中には不整脈など心臓が原因のものがあります。特に心室細動(Vf)は怖いです。数分以内に蘇生処置(心マッサージ、除細動)を行わないと多くの場合死に至ります。処置が遅れると脳に大きな後遺症を残します。気を失っている人を見たら、必ず呼吸と脈の有無を確認してください。なければ直ちに助けを呼んで、心マッサージを始めてくださいね。
失神といえばグループサウンズのオックスです。

「スワンの涙/オックスクライ」昭和43年、詞 橋本淳、曲 筒美京平
王子様系ビジュアルのオックス、失神バンドとして注目されました。その謂れは、コンサートで演奏者が興奮しすぎて失神して倒れ(演技?)、またそれを観てつられて本当に失神するファンが続出したからです。医学的に考えると、興奮しすぎての神経調節性失神や過換気症候群からの失神になったのだろうと思います。Vfや完全房室ブロックなどの心原性失神ではないでしょうね。 (院長)

 

・A面「スワンの涙」は完全に歌謡曲ですが、B面「オックスクライ」はロックです。筒美先生は本当に何でも作曲しますね。橋本先生の歌詞もJPOPには真似できない味わい深さがあります。

・この録音ではベースはメンバーの福井さんでなく、スタジオミュージシャンの江藤勲さん(→ブログ参照)が演奏しているといわれます。

 

←前の記事「大坂なおみさん大活躍ですね」「桑田佳祐さんがGSに捧げるオマージュ」次の記事→最新ブログ記事→

 

2018年

9月

26日

大坂なおみさん大活躍ですね/ナオミの夢

テニスの大坂ナオミさんグランドスラムおめでとうございます。大活躍ですね。
そういうわけで壁の飾りをかえました。

「ナオミの夢」ANI HOLEM AL NAOMI ヘドバとダビデ 昭和46年
日本語作詞:片桐和子  作曲:デビッド・クリボシェ

ナオミという名前は世界中で多く使われると聞きます。中学英語の教科書なんかに出てくるベタなネタを思い出しますね。由緒ある名前で旧約聖書のルツ記に登場する女性なのだそうです。
さて、歌っているヘドバとダビデとはイスラエルの男女デュオです。B面は原曲のヘブライ語版。旧約聖書の国です。

ちょっとマイナーでエキゾチックでこの時代の雰囲気をよく表す曲調です。この頭にこびりつくようなメロディー、長いこと題名がわかりませんでした。大人になってから歌謡曲研究を始めて再会することができました。

そうそう「日本でだけ人気」の外国人歌手やタレントさんが多かったのもこの時代・昭和40年代の特徴です。E.H.エリック、キャロライン洋子、ゴールデンハーフ、チャダ、ダニエル・ヴィダル、マギー・ミネンコおっとベンチャーズもそうです。  (院長)

 

←前の記事「ニッポンの受験生の心を救うビタースイートサンバ」「失神といえば」次の記事→最新ブログ記事

2018年

9月

12日

ニッポンの受験生の心を救う ビタースイートサンバ

ハーブアルパートの「蜜の味」"A Taste of Honey"はカッコイイですね。LP盤 "Whipped Cream and Other Delights" のA-1曲目です。

さて、このレコードには日本人にとって非常に重要な曲が収録されています。
A-4曲目「ビタースイートサンバ」"Bitter Sweet Samba"、名を知らずとも日本人なら誰でも口ずさめる、そう、深夜放送オールナイトニッポンのテーマ曲です。私も小学生・中学生時代に何百回と聴きました。二度目のビタースイートを聴きながら薄明りの空を拝むこともありました。受験の経験がある日本人なら必ずこの番組を聴いたはずです。50年以上も受験生たちの心の支えになり続けています。そして今夜も日本のどこかでビタースイートサンバを聴きながら勉強している受験生がいることでしょう。

受験生のみなさん、秋からでもなんとかなります。できることはまだまだたくさんあります。自分の力を信じ目標に向かってがんばってください。   (院長)

 

(1)ニッポン放送1240kHz(現在は1242kHz)の深夜放送。関西では大阪放送1310kHz(現在のラジオ大阪1314kHz)または近畿放送1140kHz(現在のKBS京都1143kHz)で中継されていました。ただしOBCは3時までの放送で、3時以降は電波の悪いKBSで聴きました。またアンテナを張ると東京のニッポン放送も受信できました。ニッポン放送は時報の音が他局と違うのです。

(2)一部午前1時~3時、二部3~5時、テーマ曲は1時の開始時と、5時前の終了時にビタースイートサンバが流れます。

 

「蜜の味 ベンチャーズ」←前の記事    次の記事→「大坂なおみさん大活躍ですね」

2018年

8月

29日

蜜の味 ベンチャーズ

 壁の飾りをかえました。少し過ごしやすくなってきた夏の終わりにはこんなエレキが似合います。
ザ・ベンチャーズ「蜜の味」"A Taste of Honey"昭和41年、曲 Bobby Scott
 ビートルズも歌っています。ビートルズも大御所歌手(1)のカバーは原曲のとおりムーディーで甘いメロディーです(2)。対してベンチャーズのTaste of Honeyはシャッフルリズムにビートを利かせた演奏です(3)。知らずに聴くと別の曲と思われる方もいるでしょう。
 このアレンジはベンチャーズが考えたのではなく、1965年トランぺッターのハーブ・アルパートさん(Herb Alpert)の手になるものです。マリアッチ風(4)の大胆なアレンジがいいですね。海辺で撮影されたプローモーションビデオなんかカッコよすぎです。ぜひ探してみてください。ハーブ・アルパートはこの曲で66年グラミー賞を受賞しています。


 まだまだ暑い日が続きます。皆様体調にお気を付けください。 (院長)

 

(1)アンディ・ウィリアムズ、ジュリー・ロンドン、トニー・ベネット、バーブラ・ストライザンド、チェット・ベイカーなど大御所さんも歌っています。
(2)メジャーデビュー前のビートルズがライブハウス回りをしていた頃は、ムーディーな曲を入れたほうが客の受けがいいということでしぶしぶ演奏していたそうです。とくにジョン・レノンはこの曲を演るのが嫌だったそうです。だからこの曲のボーカルはポールなのだとか。
(3)ベンチャーズの演奏はこのシングル盤よりも66年ライブ盤のほうがお勧め。ノーキー・エドワーズのギターがノリノリ、アドリブが奮っています。

(4)マリアッチはメキシコの音楽。この時代、アメリカ風マリアッチという意味でアメリアッチと呼ばれました。

 

←前の記事「夏はエレキですね」 「ニッポンの受験生の心を救うビタースイートサンバ」次の記事→

2018年

8月

08日

夏はエレキですね

壁の飾りをかえました。夏になると聞きたくなります。

加山雄三 ブラックサンドビーチ 曲 弾厚作(1) 昭和40年
映画「エレキの若大将」で勝ち抜きエレキ合戦に出演する曲ですね。

エレキ・インスト(2)なので歌はありません。だからこの曲を知らない人が多いでしょう。しかし、昔ロック小僧だった人はみんな知ってます、かつ弾いたことがあります。
当時ベンチャーズやアストロノウツなどのエレキインストのサーフィンサウンドが流行。外国の曲が主流だったなか、加山さんのこの曲は群を抜いて完成度が高いのです。ギターがリバーブ(3)をピュンピュン鳴らしてカッコいいですね。おなじみのテケテケのフレーズは65年オリジナル録音(写真左)では硬質な音、94年版(写真右)はピシャピシャとリバーブ音(4)が爽快であります。
 単純明快なメロディながらエレキ・インストの金字塔ともいえる名曲です。だから今でも数々のミュージシャンからリスペクトされています(5)。これを日本人が作曲し演奏したということに大変な意義があると思います。

 

まだまだ暑い日が続きます。お体に気を付けてお過ごしください。 (院長)


(1)弾厚作は加山さんが作曲するときのペンネームです。この時代、職業作曲家が曲を書くのが当たり前でしたから、自作の曲を自分で演奏して歌うなんて珍しかったわけです。
(2)エレキギターのインストゥルメンタル曲、つまり歌なし器楽演奏だけの曲という意味です。
(3)ギターアンプ附属の残響装置。スプリング・リバーブ装置でミュート音やアタックのある音を弾くとピュンピュン音が鳴ります。ベンチャーズのダイヤモンドヘッド、ウォークドントラン64、等が代表例。
(4)これはフェンダーアンプなど昔のスプリング・リバーブでないと出せない味です。94年版はステレオで音が左右に動く録音で臨場感が高まります。

(5)ヨッチャンこと野村義男さんの演奏がスゴイです。一度探してくださいCD「GS I love you」収録

 

←前の記事「宝塚宙組 真風さんのウェストサイド物語」 「蜜の味 ベンチャーズ」次の記事→

2018年

7月

25日

宝塚宙組 真風さんのウェストサイド物語

壁の飾りをかえました。

宝塚歌劇 宙組 ウェストサイド物語 2018年7月24日-8月7日 梅田芸術劇場

主役は男役トップスター真風涼帆さんです。宝塚各組のなかで最も迫力あるトップさんですね。院長のお気に入りです。星風まどかちゃんがヒロイン役、愛月ひかるさん(愛ちゃん)は対抗グループリーダー役、普段は男役の桜木みなとさん(ずんちゃん)が娘役を演じます。院長もとても楽しみにしています。

皆様機会がございましたら、ぜひすばらしい宙組の舞台をご観劇ください。

 

暑い日が続きます。皆様くれぐれもお身体にお気を付けください。 (院長)

 

追記)観てきました。真風さんは最近王様や貴族の役が続いていたので、今回純真な青年役を演じて新鮮でした。いつものパワフルな歌だけでなくやさしい歌も聞けてよかったです。そして今回の見どころは何といっても桜木さんの情熱的な踊りです。すばらしい。これからご観劇の皆様、ずんちゃんのダンスにご注目ください。

 

関連記事:宝塚カテゴリ

 

←前の記事「ランの花が咲きました」 「夏はエレキですね」次の記事→

2018年

7月

11日

ランの花が咲きました

ひさしぶりにランの花が咲きました。2013年10月開院祝いにいただいた花です。中待合通路のレントゲン室前にあります。

この株は初めて花をつけました。毎年花をつけていたランは昨冬に枯れてしまい、いまは残りの3株ががんばっています。 (院長)

 

←前の記事「夏が来ました」 「宝塚宙組 真風さんのウェストサイド物語」次の記事→

2018年

7月

04日

夏が来ました

壁の飾りをかえました.。「涙の太陽」安西マリア 昭和48年のシングルです。昭和40年のエミー・ジャクソン版がオリジナルです。作詞 湯川れい子、作曲 中島安敏。

夏らしい曲ですね。
小学生にとってはキャンディーズくらいが身近な存在で、安西マリアさんはお姉さん過ぎる遠い存在でしたね。 (院長)

 

←前の記事「洋楽ポップス学部入試 出題ポイント?」 「ランの花が咲きました」次の記事→

2018年

6月

13日

洋楽ポップス学部入試 出題ポイント?

前回の ペギー・マーチ "I will follow him " (1963)、元の歌はフランスでヒットした「愛のシャリオ」 "Chariot "(1962)です。シャリオは馬車の意味です。

I will follow him は「どんな障壁があってもあなたについていきます」、Chariotは「馬車に乗って二人はいつまでもどこまでも行こう」という歌詞です。今の時代だともうこういう歌詞はなくなりました。

フランス語の歌ですが歌手のペトゥラ・クラークは英国人です。ペトゥラ・クラークといえば「恋のダウンタウン」(1)が有名です。それ以前は英米ではあまりヒットがなくフランスを中心に活躍していました(2)。
作曲のポール・モーリアは名前を変えたほうが売れるだろうという理由でDel Romaと名乗り、フランク・プールセルもペンネームで共同作曲しました。編曲はレイモン・ルフェーヴル。フランスのイージーリスニング界の大御所3名が一堂に会した名曲というわけです。

この3回のまとめです: 恋はみずいろ」作曲はポールモーリアではなくアンドレ・ポップ。歌手ヴィッキー・レアンドロスはギリシャ出身。
"I will follow him "はP・モーリアとF・プールセルが変名を使って作曲。英語版の歌はペギー・マーチでこちらが後発、元歌のフランス語版は英国人のペトゥラ・クラーク。P・クラークは当初フランスで人気があった。

 

もし入試科目に洋楽ポップスがあれば、狙われそうな出題ポイントです。 (院長)

 

(1)"Downtown" 1964発表、65年1月ビルボード1位

(2)元々英国で子役として活躍、その後フランスで歌手として人気を得ました。フランスポップスのアイドル、シルヴィ・バルタンとフランソワーズ・アルディと3人でメドレーを歌う映像なんかも残っていて当時の人気が伺えます。

 

←前の記事「ポールモーリアの名前はないけどポールモーリアの曲」 「夏が来ました」次の記事→

2018年

5月

30日

ポールモーリアの名前はないけどポールモーリアの曲

壁の飾りをかえました。

前回の「恋はみずいろ」はポールモーリア楽団で大ヒットしたので間違えやすいですが、作曲はポールモーリアではありません。私はもずっと勘違いしていました。

今回はポールモーリアの名前はないけどポールモーリア作曲の歌です。

"I will follow him" 歌 ペギー・マーチ(1963年)、作曲 J.W.ストール & デル・ローマ。どこにもモーリアの名がありません。彼がわざと名をデル・ローマと変えてフランク・プルセル(J.W.ストール)と共同で作曲しました。

いろんな人に歌われ、そして器楽演奏もラジオや街中でよく流れていました。心に残るメロディーですね。ウーピー・ゴールドバーグ主演映画「天使にラブソングを」(1992年)ではゴスペルに生まれかわり、再ヒットしました。

機会がありましたら一度お聴きください、古き良き時代の歌を思い出すことでしょう。    (院長)

 

←前の記事「恋はみずいろ」 「洋楽ポップス学部入試 出題ポイント?」次の記事→

2018年

5月

09日

恋はみずいろ

壁の飾りをかえました。「恋はみずいろ」ヴィッキー・レアンドロス 1967年 作曲:アンドレ・ポップ、作詞 ピエール・クール、翌68年にポール・モーリアがオーケストラ演奏でカバーし大ヒットさせました。以後多くの音楽家にカバーされ皆が知るメロディーになりました。私が子供のころ1970年代あちこちで聞いた覚えがあります。実家にはポールモーリアのレコードがありました。

オリジナルのヴィッキー版を聞いたのは歌謡曲研究を始めた大学生時代だったと思います。フランス語の響きが美しい曲ですね(1)。   (院長)

 

(1)フランス語の響きが美しいです。でもヴィッキーはギリシャ出身なんですね。1967年のユーロビジョンコンテストではリヒテンシュタイン代表で出場し4位入賞。ずっとフランス人だと思っていました。

 

←前の記事「しつこいようですが・・・寺川ベースの話」 「ポールモーリアの名前はないけどポールモーリアの曲」次の記事→

2018年

4月

18日

寺川ベースの話「恋の追跡ラブチェイス」

壁の飾りをかえました。欧陽菲菲「恋の追跡」昭和47年

作詞:橋本淳、作曲:筒美京平、ベース:寺川正興

しつこいようですが、もう少し歌謡曲ベースにおつきあいください。

先日江藤勲ベースを取り上げましたが、もうひとり巨匠ベーシスト寺川正興さんを抜きに60‐70年代歌謡曲を語ることはできません。

寺川ベースはとにかく上へ下へと音が激しく移動するベースラインで「エレベーター奏法」とも言われています。しかし地の曲と不思議な調和を成すのです。いちどお聴きください、「あ、聞いたことある」と思われることでしょう!

尾崎紀世彦「また逢う日まで」、森山加代子「白い蝶のサンバ」、和田アキ子「あの鐘を鳴らすのはあなた」、TVドラマ「美しきチャレンジャー」、特撮「電人ザボーガー」、アニメ「鋼鉄ジーク」などが代表といわれます。その他多数の曲が寺川さんが弾いていると伝えられます。寺川さんの演奏曲はベースに聴き入りすぎて歌唱が耳に残らなくなるのが歌手泣かせなところ、玉に瑕でしょうか。欧陽菲菲さんくらいの個性的かつ迫力ある歌がバランスが取れるのですね。  (院長) 

 

 ←前の記事「江藤勲さんのベース」 「恋はみずいろ」次の記事→

2018年

4月

05日

江藤勲さんのベース「雨に濡れた慕情」

「伊勢佐木町ブルース」のベース奏者は元ブルーコメッツ(1)の江藤勲さん。名前は知らなくとも音を聞けば誰もが思い出せる。「ブルーライトヨコハマ」「グッドナイトベイビー」 「ドリフのズンドコ節「長崎は今日も雨だった」「悲しき願い」「こまっちゃうナ」「虹色の湖」「人形の家」「ルパンIII世(初代)」「みなしごハッチ」「ひみつのアッコちゃん」「アタック№1」みんなこの人です(2)。ほかに膨大な数の録音を残しました。ミュージシャン達がフェンダー、ギブソン、リッケンバッカーなど海外製品を使った中、江藤さんは日本のテスコ社のベースであの独特な硬質サウンドを繰り出したのです。60-70年代歌謡曲の偉大なスタジオ・ベーシストです。
ベース界の至宝、江藤さんは2015年4月25日逝去される前日まで現役ベーシストとしてブンブン弾きまくっていたそうです(3)。

江藤ベースを偲んで壁の飾りです。ちあきなおみさんのデビューシングル「雨に濡れた慕情」昭和44年 作詞:吉田旺、作曲:鈴木淳。一度お聴きください。ベース、ピアノ、ギターそしてちあきさんの歌唱、すべてがとにかくカッコイイ。 (2018.4.5院長)

 

参考

(1) 江藤勲さんはブルーコメッツがGSでレコードを出す前にグループを脱退しています。

(2) ベーシスト 江藤勲のホームページ http://www.eto-isao-bass.jpn.org/Eto_Isao/Welcome.html
(3) 2015.04.28デイリースポーツオンライン「元ブルー・コメッツの江藤勲さん急死」

 

←前の記事「貴方知ってる?このベース音 伊勢佐木町ブルース」 「寺川ベースの話 恋の追跡」次の記事→

 

2018年

3月

12日

貴方知ってる?このベース音「伊勢佐木町ブルース」

壁の飾りをかえました。
伊勢佐木町ブルース 昭和43年 歌:青江三奈、作詞:川内康範、作曲:鈴木庸一

何とかブルース、と名前がついてる曲は多くが偽物ブルースですが、「伊勢佐木町ブルース」は本物のブルーズなんですね。
これは楽曲がブルース形式をふんだんに盛り込んでいること、そして青江三奈の声質と歌唱がが完全にブルーノートに乗っているからです。もうあの有名なスキャットが耳から離れません。

一層味わい深いのが、全編をリードする硬質なベースギターであります。この音は誰もが知っているあのGS(グループサウンズ)のベーシストが弾いているのです。そしてこの人こそが60-70年代歌謡曲で活躍した影の大物なのです。

さて右は6年前ヨコハマを巡礼した時の写真です。もはや現代の伊勢佐木町には川内康範が描いた大人の街の面影はありません。名曲を記念した歌碑がひっそりと建っていました。 (2018.3.18院長)

 

←前の記事「ビートルズとCTスキャン」 「江藤勲さんのベース」次の記事→

2018年

2月

21日

ビートルズとCTスキャン

壁の飾りをかえました。ビートルズ Ticket to ride/ Yes, it is 1965年 前回と同じ東芝音工です。

右の写真はハウンズフィールド卿(Sir Godfrey Newbold Hounsfield 1919-2004)、 CTスキャンの発明者の一人です。彼は英国Electrical and Musical Industries (EMI)でコンピュータ断層撮影の開発研究を行い、ついに1971年CTスキャンを実用化させました。1979年ノーベル医学生理学賞を受けています。EMIは音楽ファンならご存知の通りビートルズのレコードを出していた会社です。当時EMIはビートルズで稼ぎまくった資金を元にCTの研究開発費に回すことができたと言われています(1)。CTが医療に与えた恩恵は計り知れません。なにしろカラダの中身が見えてしまうのですから!革命的であったことでしょう。このCTの誕生にビートルズが貢献していたのです(2)。なお、日本のCTは、EMIと「音楽で」提携していた東芝が輸入し1975年東京女子医大が導入したのが始まりとされています。

 

参考文献 (1) Oransky I. "Sir Godfrey N. Hounsfield". Lancet. 2004;364:1032.

 世界的医学誌LancetでSir Hounsfieldの追悼記事にCT開発の経緯が掲載されています。

(2) Maizlin ZV1, Vos PM. "Do we really need to thank the Beatles for the financing of the development of the computed tomography scanner?" J Comput Assist Tomogr. 2012;36:161-4

 近年の研究で、CT開発研究費はEMIの6倍以上も英国保健省が出していた、だからCT開発とビートルズは関係ないんじゃないか?という検証があります。でもビートルズの活躍でCTができたと思った方が夢がありますよね。

 

←前の記事「癪って何の病気?」 「貴方知ってる?このベース音」次の記事→

2018年

2月

07日

癪って何の病気?

壁の飾りをかえました。

クレージー・キャッツ「こりゃシャクだった」詞 青島幸男、曲 萩原哲晶 昭和36年
 「癪」は腹や胸の激痛、さしこみ、のこととあります。西洋医学が入る前の言葉です。時代劇や時代小説で「持病の癪が」なんて言いますね。痛みといっても胸腹部全般だから範囲が広すぎます。胆石発作、胃潰瘍、狭心症、心筋梗塞、肺塞栓、はたまた大動脈解離まで鑑別診断に含まれるので初療医は困りますね。
 「癪に障る」は腹が立つこと、これが転じて「シャクだ」は腹がたつことを表します。そういえば「シャクだ」って関西では使いませんね。

 さて、この曲は有名な「スーダラ節」のA面です。 演奏・歌・録音の3つ揃ったジャズの名作だと思います!このバンドの演奏、見事にスウィングしています。大瀧詠一さんが「このバックの演奏は、当時日本のジャズ演奏者のレベルが相当に高かったことを表している。即ち、日本のジャズは戦後米軍がやってきて一朝一夕で隆盛したのではなく、戦前ジャスから連綿と続いたからこそ、これだけレベルが高かったのだ」と解説されていました(1)。
 植木等の歌唱は開放感にあふれ、乗りにノっています。そして録音が素晴らしい。モノラル録音なのにまるで目の前で植木等が躍っているようです!当時の東芝の録音技術の高さが実感できます。一度、ステレオ再生装置でスピーカーを2m離してできれば大音量でお聴きください。  (院長)

 

(1) 大瀧詠一「大瀧詠一の日本ポップス伝 第5回」NHK-FM 1995.8.11放送

 

←前の記事「他人の空似」 「ビートルズとCTスキャン」次の記事→

2018年

1月

10日

他人の空似

あけましておめでとうございます。寒い日が続きますね。壁の飾りです。
吉永小百合さん「寒い朝」(昭和37)と宝塚歌劇月組トップスターの珠城りょうさん「All for One」(平成29)。並べると何だかいろんなところが似ています。不思議ですね。実際のお二人はそれほど似ていないから、歌劇の写真を撮った人はこのレコードを頭に浮かべながら撮影したのではないかと想像してしまいます。

寒くなりインフルエンザなどの感染症が増えてきました。皆様、御身体にお気をつけください。 (院長)

 

←前の記事「思い出の紅白歌合戦」 「癪って何の病気?」次の記事→