日本が元気だった時代「東京五輪音頭」

 壁の飾りをかえました。

 三波春夫「東京五輪音頭」昭和38年 作曲:古賀政男、作詞:宮田隆。昭和39年(1964)東京オリンピックのテーマソングです(1)。

 内科医の立場から申し上げると、2021年オリンピック開催には反対ですね。明らかに感染拡大の要因になりますから。やるよりやらない方が良いに決まってます。なお院長はオリンピック見たいかというと、個人的にスポーツにあまり興味がありませんので(2)オリンピックはどうでもいいという気持です。

 さて皆様昭和38年のこの曲をぜひお聴きください。オリンピックという国際的なお祭りのテーマに、日本ローカル音楽形式である音頭を持ってくる、およそ国際的からは遠い日本内輪受けの曲です。グローバル社会の現代ならむしろ日本オリジナルを強調していて良いかもしれません。

 昭和30年代は国民の多くがまだ日常的に音楽を愉しむ余裕などなく、また今より都市と地方の格差があった時代です。戦後の歌謡曲は当初ジャズやラテンなど洋楽をもとにした曲中心に広がりました。いわば都会向け洋楽です。そのうち日本が豊かになるにつれ地方出身者も、また洋楽に興味のなかった者も娯楽として音楽を聴くようになります。その流れで登場したのが民謡や浪曲ベースの歌謡曲です。三橋美智也、村田英雄、三波春夫はその代表です。こういった歌が登場する(歌謡曲の流れでは新しいジャンル)ということは、この時代に日本が豊かになり音楽を聴く層の裾野が広がってきたことを意味します。

 この時代の出来事です。東京オリンピック 昭和39年10月10日。新幹線開業 昭和39年10月1日。首都高速開通 昭和37年12月20日。

 敗戦後19年で日本はここまで復興し豊かになれた。当時の日本人はうれしかったでしょう。明日に希望を持ったと思います。

 他方、たかだか20年程度で国が凋落するのをリアルタイムで私たちは眼にしています。今回2021年のオリンピック、無様なことにならぬよう祈るばかりです。 (院長)

 

(1)複数レコード会社で多くの歌手の競作になりました。最も売れたのが三波春夫(テイチクレコード)版で130万枚売れたそうです。私も三波さんバージョンしか知りませんでした。

(2)院長のスポーツへの関心は、阪神が勝ったらうれしいという程度です。

 

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